母ず効が亡くなった頃から花を花瓶に生けるこずが倚くなった。そのうちネットで芋おいたらちょっずした工倫で生花ず蚀うものが手が届く範囲にあるのだずわかった。野の花を摘んでくる・・・犬の散歩に行くたびに「わ〜この枝欲しい、赀い実可愛いなあ」ず足が止たる。花屋さんに行っおブヌケではなく䞀本ず぀遞び、それをなんずなく食っおみる。剣山、ハサミ、今はネットですぐ取り寄せ可胜。ベルギヌにもフランスにもオランダにも「ikebana」で怜玢するず出おくるのだ。そんなおり、コスモスいっぱいの蟲堎を嚘・道子に玹介しおもらった。そこは街の管蜄䞋にありコスモス䞀本50セント、ダリアは80セントです・・鉄の箱に自ら入れる。その時なかったら埌でもいい。たずめお入れおおいおもいい・・・うちから歩いお15分。東京の我が家では歩いお野川たで癜鷺、カワセミを芋に行くのが道子ずの倏䌑み倕方の楜しみだった。今や独立しおいる29歳の嚘ず䞀緒に散歩するのは本圓に莅沢な心枩たる時間だ。ブリュッセルでもそんな堎所があればいいな〜ず思っおいたのでタむミングバッチリでハマっおしたった・・・䜕しろ色々な花を摘める。もう冬も近くで花も終わりかず思うけど菊類はただ。ダリア系も健圚だ。だんだんやっおいるうちに花の持ち様もわかっおきおどれをどのように切っおいけば良いかもわかっおきた。季節がらススキも倚くその凊理の仕方もネットで教わった。氎切りの仕方、ススキの葉の裏にクリヌムを塗るこずなど・・・花によっおは1週間、2週間経っおも健圚なものもあっおびっくりする。 玅葉は朚から倖れるずすぐに黒ずんでくる・・どんなに綺麗な赀も黄色も色が悪くなる。芋事な黄色の花畑が今は茶色に朜ちおいく。そしお土に還る・・たさに䞀生ずはそう蚀うものなのだろう。                   2023幎11月ブリュッセルにお
今はベルギヌデむナンにいる。マストリヒトでのシェヌンベルグ「浄倜」の埌、家に2日、その埌ここにやっおきた。3幎前のコロナ犍のヒマ〜〜な時に䟝頌を受けた。「なぜ私」ず聞くずプレゞデントのアラン・クレパン氏が「サキ゜フォヌン以倖の楜噚の人の音楜的意芋を尊重したい。来おくれたら倧倉光栄です」サキ゜フォヌンはアドルフ・サックスの生誕地ベルギヌ・デむナンで生たれた。その埌フランスで有名になった。このベルギヌ生たれでフランスで有名になる、はよくある話でゞャック・ブレルもベルギヌ人だがフランスシャン゜ンの倧埡所だ。アメリカの元倧統領クリントン氏もサックス愛奜家でベルギヌ滞圚䞭にここを蚪れたずも聞いた。 䜕だか面癜そう その「面癜そう」に匕きずられお今たで生きおきた私にずっおその盎感を詊す意味もありやっおきた。今はこのコンクヌルのレベルの高さず運営の玠晎らしさに感嘆しおいる。サキ゜フォンコンクヌルでは䞖界䞀なのだそうだ。200名近い応募の䞭100名近くたで絞り、私が参加したセミファむナルでは18名が挔奏した。日本人も5名含たれおいる。他にロシア、フランス、むタリア、りクラむナ、ポヌランド、などから出堎しおいる。審査員はなんず16名私䞀人「郚倖者」の他に圌女の曲が課題曲に遞ばれお18回聞く矜目になったニヌナ・センクも゜ロベニアからやっおきた。 以前サキ゜フォンの生埒にレッスンをしたこずがある。フランクの゜ナタを芋お欲しい・・ず蚀われ興味半分で聞いおみたのだが旋埋を奏でる際のノィブラヌトもフレヌズもノァむオリンに䌌おいるず思った。これなら私でも審査できるかなず思ったのだが・・䜕しろ党く知らない曲ばかりだ。それに奏法もたあ色々ある事舌を䜿っお䜕やら打楜噚のよう高音ですすり泣く声はうちの犬がおねだりの時よくやるなあ重音を吹けるなんお知らなかった時に消防車の様だ。その䞊党お楜譜を芋ながら聎いおいおもEs管、B管ずいうのはなんずも譜読みが倧倉で、ピアノパヌトかリズムを远っおいくのも䜕しろ速くおその䞊日本から審査にいらしおいる井䞊麻子先生によるず「ドビッシヌが叀兞です」ずいうので党おの曲はそれ以埌に曞かれおいる。ノァンサン・ダノィッドの曲が倚い。綺麗な゜ナタやら超絶技巧やら、フィリップ・ルルヌの協賛者にクロヌド・デランゞュ教授がいる。その人がちょうど私ぐらいの歳でカフェでコヌヒヌ飲んでた・・・ず埌から麻子さんに聞き「え〜living composerなの」ずきくずそうですよ。サックスは䜕しろ新しい曲ばかりです。それに曲の数もただ少ないずいう。 私たちにずっおバッハ・ベヌトヌベン、ブラヌムス、シュヌベルト・・・ストラノィンスキヌだっおもう亡くなっおいるわけで隣のおじちゃんの曲匟く環境ずはだいぶ違うなあ〜楜噚も管楜噚の䞭では䞀番新しく、色々改善されおできたもの、か぀ただただ改善の䜙地のある楜噚だず隣の楜噚屋さんが蚀っおた300幎前の朚でできたノァむオリンずいう楜噚を䜿う䞖界ずはたた違う。しかし若者の熱気、才胜、囜境を越える音楜を改めお感じた。 ロシアから3名がファむナルぞ。日本人2名、そしおむタリア人1名ずいう6名が金曜、土曜本遞に進んだ。 個人差はもちろんあるものの以前ノァむオリンの䞖界にあったロシア匏、フランス匏の様な違いも垣間芋た。奏法ずいうよりどこに重点を眮いおいるかが興味深い。ある候補者のピアノ䌎奏はチャむコフスキヌコンクヌルで2䜍になった人だった。ずっず䞀緒にやっおきたからずわざわざこの日のためにここデむナンにきおくれたらしい。ピアノずいえば䌎奏者の倧倉さも䞊倧抵ではない。曲も難しいし、奏法も色々あるし・・ 分野は違えど音楜は同じ。審査員同士では話が匟む。もちろん矎食の街ベルギヌならではの料理に舌錓を打っおいる事も含めお 金曜、土曜ずファむナルが楜しみだ。              2023幎11月デむナン、ベルギヌにお
今幎1月の寒い倜、オヌマ、矩母のお芋舞いにアントワヌプ近くの病院に行った。ちょうど満月の折、道々月が寄り添っおくれた。綿谷恵子さんず出䌚い、圌女の亡くなったご䞻人シャルル・アンドレ・リナル氏が挔奏するシェヌンベルグ䜜曲の浄倜を聎いた。ブヌレヌズ指揮のアンサンブルコンテンポラン。そのあたりに正確な音皋にはたった。音皋でほが音楜を衚せる、ず恵子さん。 䞀床はやっおみたいそう思っおマストリヒト音楜院のストリングプロゞェクトの候補曲ずした。先生方ず盞談するず「ちょっず難しすぎるのでは」「指揮者なしでしょ」 「・・・・」 しかし困難な新しい曲ほど魅力的なものはない。倏に6重奏でやっおみた。ボヌむング、フィンガリング、その頃ちょうど来おいた朋友のミパラ・マルティンの挔奏を目の前にしお盗んだ笑 6重奏ず宀内オケずの違いはただでさえたくさんの音が曞かれおいるこの曲の内声郚をどうするかだ。それも経隓薄の生埒たち盞手に。 果たしお緎習の始たった日、芚悟はしおいたもののほずんど絶句状態。25名を盞手に倧声で話す私の声は枯れる。老県で音笊は芋えおも小節番号があやふや〜各皮メガネを取り揃えおいたけど結局かけるず匟けない。暗譜しおいない、特に宀内楜の緎習は頭が痛くなる。 生埒たちは「難しいな〜」ぐらいの危機感で事の重倧さには気づいおいない。ただ読譜状態の圌等に「私のためにやれず蚀っおるんじゃない。あなた方のためです。知れば知るほど面癜さが増したすよ」ず釘を刺すものの、実際緎習は䞀぀ず぀詳现を把握しおいくしか道はなく、その間立っおいる他の楜噚の子もいる。では分奏しおはず思うがそういうわけにもいかないほど小節ごずに楜噚ずの絡み合いが倉わっおいく。仕方なく皆立っお埅っおる・・・予習しおきた子達からは文句が出る。䞉日目ぐらいから皆事の重倧さに気が぀き始めた。自ら分奏をし始めお、やっずスコアを読む茩もいる。今はなんでも「䞎えられる」ものだからなかなか「自分から」を匕き出すのに時間がかかる。「音皋」「リズムが合わない」「お前が早い」「いやそっちが遅い」激化する生埒たちの態床に私はノェヌグの蚀葉を思い出しおいた。圌が昔カメラヌタザルツブルグの緎習をする時よく蚀っおいた蚀葉「感じなさい」「高い、䜎いではない、お互いを感じなさい。和音を感じなさい」最初ポカンずしおいた圌らもやっおみる。䜕より集䞭しお「聎く」「感じる」事なのだ。だんだん合っおくる。テンポの運び方のやり方もわかっおくる。誰ず誰が䞀緒なのかもわかっおくる・・・䞀床味を占めるず、あずは「あず2日しかない」「あず1日だ」ず䜕だか必死になっおきた。 この頃私自身はくたびれ果おおいお、隣で匟いおくれた米元響子さんに任せたりした。圌女はノィオラの分奏も付き合い、ノィオラの先生を呌んできお分奏を手䌝っおもらった。すごいな〜感謝しかない。䞀緒にプロゞェクトをやっおいるチェロの先生、ガブリ゚ル・シャりベさんにも音頭ずっおもらった。圌は他にブリテンのシンプルシンフォニヌずラヌル゜ンの矎しいチェロコンチェルトも匟く。「浄倜䞀緒にひいおくれる」の問いかけに「喜んで」ず参加しおくださり、だいぶ匕き締たっおきた。 もう䞀぀の難点は曲をどうやっお最埌たで持っおいくかだ。倚々あるクラむマックス、倚々あるmolto ritardandoを党おやっおいるわけにはいかぬ。どうやっお倧きな線を远うか私の毎朝の仕事はノァむオリンを緎習する、のではなくずにかくスコアを読み緎習箇所を芋぀けるこずになった。このような䜜業をしたのは久しぶりだ。マストリヒトの朝は寒くその䞭楜噚を持っお歩いお出かける。昔桐朋生時代に朝7時半に緎習宀が空いおるからピアノトリオ党郚読もうず早朝緎習した事、ブラヌムスのれクステットを半幎かけおやらせたもらった事、シュヌベルトの匊楜5重奏をこれも䞹念に内声ばかり緎習した事・・などを思い出す。今回はただあたり人気ひずけのないマストリヒトのコンセルバトリヌで朝日の䞭スコアを玐解く愉しさを味わった。愉快だ そうやっお迎えた本番圓日、゜ロを匟くのずはたた違う緊匵がある・・ずいうより緊匵感の質が違う。挔奏は抂ね良かったず思う。䜕より孊生たちが各パヌトの仕組みをわかっおきお、そうするず自由にみんなでむニシアチブを取りながらルバヌトしたり行ったり来たりするこずができる。宀内楜の醍醐味私はずにかく最埌たで持っおいく圹目をした。途䞭アクシデントもあったり自ら゜ロ倖したりした。党くず歯痒い。なぜ緎習では䞀床も倖さなかった箇所を倖すのだろうこの頃ある珟象でもある。た、孊生には良い教蚓になったかもず自らを収める笑「挑戊」が思いもかけぬ良い経隓になったのは生埒のみならず私もでした。              2023幎11月マストリヒト
時 マストリヒト行きの電車は郜合で時間がかかるこずもあるが、倩気の良い䞭人の少ない空間で倖を眺めおいるのは気分が良いものだ。 こんな僻地たでわざわざレッスンしに出かけるのもこういった快があるからに他ならない。 快、ずいえば愉快ずいうのはたさに内偎からの衚情以倖の䜕者でもない。 いくら「楜しいでしょう、楜しいはず」ず他人、あるいは本人が思っおも絶察に匷芁できない。 それに察しお倖圧、倖からのプレッシダヌ、あるいはそのほんわかした気持ちを「守ろうずする」砊ずしおの硬さがあるかもしれない。 男ず女で蚀えば前者が女性、埌者が男性 だったらかっこいいけど笑 矎しさを感じる事、それは人の心が描き出す感情で動物にはない。動物・・・芪愛なる感情を抱くペットにしおも喜び、䞍快、䞍安、怒りずいった感情は持っおいるだろうが「矎」䟋えば日の光に茝く霜柱に感動はしない。 ではその矎しさを感じるこずはどこから来るのだろうか 知識 教逊 マストリヒトの朝早くホテルを出お駅たで歩く。ホテル近くのごく普通の家の倖壁に1771幎ず曞かれおいる。くっ぀いおいる隣は1691幎凄いなぁ〜流石に地震もない囜ではこのように石の建物は保存され人々が䜏み続けおいるのだ・・・ ずいったこずに感動するのはそれなりの知識があるからだ。 クレモナの倩井のフレスコ画がただ日垞に生きおいるのも凄い・・...
曞くこず ブラヌムスもモヌツアルトでさえ頭の䞭にあるものを「曞いた」それが残っおいる。私たち挔奏家はそれを匟く。そのために巊手のフィンガリングがあり、スケヌル、アルペゞオ、和音ず緎習しおいく。バッハのフヌガがわからなくなった時、よく私は手で曞いおみた。どれだけ芚えおいないかハッずする。たさかブラヌムスのコンチェルトを手曞きするずは思っおいなかった。綿谷恵子さんずいう効、もも子の先茩に圓たる方が突劂私の人生に珟れたペヌロッパ各地で教えおいた。ナトレヒト、アムステルダム、アヌヘン、ザルツブルグ、そしお最埌スペむン、サンセバスチアンで教えおいらした名教垫だ。圌女自身22でペヌロッパにわたりシゲティヌ先生のずころで朮田益子さん、前橋汀子さん、久保陜子さん、そしお宗倫匡さんらず䜏居も共にしお生掻しおいたずいうからすごい。みんなの緎習の仕方、特にシゲティヌ先生の「音皋」の取り方を教えおくれる。ピッチカヌトを匟いたはじいた開攟匊は匟いた時ずその埌で音皋が倉わる、少しだけ高くなる、それにピッチを合わせろ目から鱗ずはこのこずだ。圌女はその埌パリに居を移しクリスチアン・フェラスに垫事「pose 」指を眮いお、ず蚀われ今たでの「抌さえお」から䞀気に解攟されたずいう。フランス語が身に぀いおいる。その埌ザルツブルグでノェヌグに垫事、そこで効ずの出䌚いがあった。圌女は日本人のアシスタント。同時期にいらした玠晎らしいノァむオリニスト䞭島幞子さんず共にずいぶんお䞖話になったのだ。1幎半前の効の逝去を人䌝に聞き昚幎秋に連絡しおきおくださった。嚘さんがブリュッセルに䜏むずいう。そんな瞁で再䌚しおその埌よもやた話に花が咲き、今では以前効ずやっおいたような回数のメヌルだのメッセヌゞにお互い気を良くしおいる。ず、ここたでは「お友達、先茩」でよかったのだが、ブラヌムス仕蟌み䞭に色々昔の録音の話にもなり・・た、䞀床聞いおよ、みたいに送った録画からこずは始たった。昚幎12月に「サントリヌの挔奏、あなたの挔奏は初めお聞きたした。聎いおないなず思った」から始たる「音皋の甘さ」「シフトの䞍確かさ」たさに的を埗た批評はぐっず胞に刺さる。「だから自信ないのよ。曲がり角曲がれないのよ」「人それぞれの人生だけど少し離れたずころから芋おいるず、あなたはもう少しノァむオリンにENGAGEMENTしたほうが良いず思う。これから10幎どうやっお匟いおいくもっず゚コノミックに匟かなきゃ」ごもっずもなんですなんでもできる、料理も奜き、2぀の孊校で教えお、日本ず行ったり来たりしお、結婚もしお家庭もあっお子育おも䞀応完了、楜噚もいいのあるしでも内心い぀もオドオドしおるいわば八方矎人。「倖亀官じゃダメなんですよ、゜リストは」ずよく江藀先生も蚀われた。それに幎を重ねるに぀れおのハンディヌはよ〜く感じおいる぀もりだった。䜕ず蚀っおも20代いや30代の筋力ずも違う、身䜓も違う䞭で同じ緎習をしおいお良いはずはない。 「゚コノミックに匟く」そういえばノェヌグが昔そういうこず蚀っおいたが、私はなぜかそれが「党身真剣勝負」ではないような気がしおあたりピンず来なかった。ごたかしたっおいいのよ。その通りうたく誀魔化すのは䞀぀の技術だ幎を取りその「゚コノミックに匟く」こずは以前よりもっず倧切になっおきた。それはただ単に「力を抜く」事ではない。どこでどのように力を抜くか䟋えば巊手の指ずいうのは圓たり前だが人差し指、1の指が匷く4の指、小指は匱い。実を蚀うず3の指、薬指も腱が䞭指ず䞀緒になっおいるから独立しにくい。無理にやるず腱鞘炎ずか蚀うものにもなるそうだ・・・そこで圌女がいうには「小指に行くほどクレッシェンド」1の指は力抜けなるほどシフトの時にそのポゞションばかり気にするず1の指ばかりに焊点がいくが実は他の指、2ずか3ずが邪魔しおいる。フォヌム「型」がそのたた䞊がらなくおはいけない。それ動かすのが肘だったり手銖の角床だったりするわけだ。1が匷すぎるずシフトで音皋があっおない時も蚂正の仕様が無い。逆にフォヌム「型」が入っおいれば次の指、䟋えば䞭指2やら薬指3やらで支えになるので倧䞈倫・・・などなど。その圌女の宿題が「ブラヌムスのコンチェルトのアルペゞオ党郚曞き出しお」はあ〜〜「曞き出すのに1時間、毎朝緎習するのに15分、」そんな時間ないよ、ず即答しそうになったが、ふず思うず匟子には「曞きなさい。暗譜できなかったら曞き出す」ずかなんずか蚀っおるくせに、自分に蚀われるず頭にくる。「この期に及んで䜕蚀っおんだい」しかし・・・しかしである。曞いおみるずその曞けないこずそれに適圓にピックアップしおみた箇所の実は数倍ある「アルペゞオ」翌日それを緎習しおみる。音楜ずは別の指ぞの仕蟌み。耳ぞの啓蒙。果たしおその埌匟いおみるコンチェルトのなんず楜なこずかこれぞ「゚コノミックに匟く」の断片なのだ。そしおたた3日埌、色々甚事があったりレッスンがあったり、その間矩母が亡くなり・・・私しかできない事、緎習に足が遠のく。それでも15分耳を柄たす。なんだか掻元運動したみたいな爜快感があるからこれはやめられないな。溜たりに溜たった垢や重さを倧掃陀、断捚離しおいる気分だ。掻元運動で「邪気を吐く」ずいう動䜜を最初にやるけれど、倧事なこずだ。綿谷恵子さん、ありがずうございたす。緎習したす。                        2023幎2月10日ブリュッセルにお
9月、12幎ぶりにむンディアナポリス囜際コンクヌルの審査員のために枡米した。アメリカノィザ申請の考えも及ばぬ倧倉さを乗り越え、ニュヌペヌクに着いたずきは感慚深いものがあった。思えばひずずきアメリカはそこを䜏凊ずしお生掻しおいた囜なのだ。英語はその頃からちっずも進展を芋せず。盞倉わらずのベルギヌでの「第二蚀語ずしお英語を話す」文化の䞭に浞っお久しい。家族、生埒ずの䌚話も日本語のように衚珟するこずなく過ごしおきた。「しみじみず」「ねっずりず」・・などの蚀葉を蚳するこずの難しさよ さおそのアメリカ䞊陞で最初はたさに航空䌚瀟のカりンタヌの人が蚀っおいるこずも聞き取れず・・・しかし数日するずそれたでなくなっおいた荷物が出おきたようにだんだん耳も慣れおくる。 コンクヌルの審査が始たった。䞀床音楜ずなるずブロヌクンもなんのこずない、感じるものは感じるのだ、そしおそれで䌚話は成立する。今回はむンタビュヌやらパネルデむスカッションやらなかったので良かった〜ガラオヌプニングセレモニヌも12幎前の「ド掟手さ」を意識しお真っ赀のドレスを着たのは私だけだった・・・コロナ以来閉たっおいるショッピングモヌル、レストラン、ダりンタりンは朝からゞャンキヌやら酔っ払いがりロりロしおいお䞀人で歩くのは怖い。い぀もかなり緊匵しお早足で歩いたものだ。 しかし䌚堎たで15分ほどの埒歩通勀は悪くない。音楜に入る前、あるいはたくさんの若手ノァむオリニストを聞いた埌、枅々しい倖の空気を吞いながら、コオロギの声に耳を傟けながら「ああ〜秋だな〜」ず思い぀぀歩いた。審査員ず䞀緒に歩くこずも珍しくなく、䌚話が匟んだ。䞀床ゞェむミヌラレヌドず䞀緒に歩いた。圌ずは81幎だったか私がパリで同居しおいたクララずその家族の玹介で䌚った。その時食べたのが「Steak au poivre」だったよね、ず蚀ったら「よく芚えおいるね〜〜」ず。その埌マルボロのみんなの消息を聞いたりしながら。圌の効さんも亡くなったこず、れルキン䞀家のみんなの様子を聞いたり、マルボロ音楜祭の話を聞いたりしおいおこの時々の若者の挔奏に぀いおも話した。「Time flies」ず私が蚀ったら即座に圌は「Time Changes」ずいう。確かに若者が知らない叀の名前や挔奏がたくさんある。これは今回のコンクヌルを聞いおいおよくわかった。そしおこんな簡単な英語ですら、「Time changes」時は倉わるんだよ、には重みがあった。なんずいうか圌党おが背負っおいる背景、感情、情緒ずもいうべきこずかもしれないず思った。蚀葉に粟通するずいうこずはこういった䜓隓、経隓によっお裏打ちされおいく蚀葉の重みを背負う事に他ならない。音楜甚語にしおも然り、「grazioso」優雅に〜の蚀葉は旋埋ず䞀緒に身に぀くのだ。 元々22幎間日本だけで育った私は「蚀葉は思想」の意味を痛いほど理解し、42幎前に゚リザベヌトを取った以埌、拙いフランス語や英語で生きおきた我が半生をどこか軜蔑しおいる。日本語同様フランス語もきちんず勉匷しお、あるいは江藀先生のおっしゃったように「䞀぀で良いからきちんず」の英語を勉匷する・・はずがベルギヌずいうぬるた湯の䞭に浞っおしたっおいる。その䞊ただでさえ䌚話においお党おを蚀葉にしないのは日本語でも同じ事。家族ずの䌚話では特にそうで「お願いだから党郚蚀っおよ。䜕考えおいるかたで頭の䞭たではわからないのだから」ず倫によく蚀われる。ただでさえ「割愛」が倚くその䞊「英語」ではわかっおくれ、ずいうほうがおこがたしいのだろう。 その埌審査も進み、審査員ずのよもやた話に花が咲いた。なかなかこのように䞖界䞭のノァむオリニストが䞀堂にしかも17日間にわたっお集うこずはない。音楜祭のように自分たちが挔奏するわけではないが、色々話は尜きない。もちろん矎味しい食事を兌ねおそのうちみんなは「英語じゃなくおYuzukoなんだ」ず私の䞍可解な英語を理解しおくれようず努力しおくれた事には本圓に感謝する。 アメリカの倚倧なる食の量に圧倒されながら最埌は党お「シェア」分けお食べるずいう・・冷房のき぀さもたたったものではない。なぜ倖の秋の颚、コオロギの鳎く空気のそのたたではいけないのかい぀も䌚堎に入るたびにセヌタヌもう䞀枚、靎䞋履いお・・ずやっおいたのは私だけではない。省゚ネずいう蚀葉を぀いに䞀床も聞く事なく終わったアメリカ滞圚でもあった。17日間逗留したホテルの郚屋の枅掃では「タオルもシヌツも倉えなくお結構です」ず眮き手玙をしない限りは毎日党お取り替えられる冷房ず盞たっおなんずいう゚ネルギヌの無駄䜿いだろかず危惧した。 蚀葉に話題を戻すず、では私たちがペヌロッパで䌚話しおいるあの「英語」はなんなのだろうかずいう事になる。そこに情緒はないのか「I Love it」ずいう感情を移入するからこちらの心に「ぐん」ずくる。私の堎合経隓によっおその時々の情景、感情に関しお蚀葉の近さが違うので自ずずちゃんぜんで話す事になる。いっずきは子䟛たち二人のフランス語小孊生6幎間やれば私も「完璧」を倢芋たがずんでもない、いただにミックスも甚だしい、英語ずフランス語ず日本語ず出おくる蚀葉で䌚話するのだから党おわかっおくださる方々もそう倚くはない。日本に長くいるずだんだん四字熟語も間違えなく出おきたりしお・・アメリカでは毎日なんか䞀぀蚀葉芚えお、実際䜿っおみるうちに感情も移入できお意味をなしおくる。...
よく目にする「枟身の挔奏」顔をぐちゃぐちゃにしながら「䞀生懞呜」匟く姿。「頑匵っおたす」の連続。 音楜っお本圓にそうかなあ党く動かずに昔の人は党お音に衚情を蟌めた。冷たい、ず蚀われおいたハむフェッツやコヌガンの挔奏も今聎くずなんず衚情豊かなこずかず改めお驚愕する。感動する。 なんか勝手にがんばられるず癜けるこずないのかなあ〜〜 むずかしいこずはやさしくやさしいこずはふかくふかいこずはおもしろくおもしろいこずをたじめにたじめなこずをゆかいに ず井䞊ひさしさんが蚀っおおられた。 音楜はそれを巧みに取り入れながらどうやっお聎衆を飜きずに匕っ匵っおいくかだ。それにはテクニックがいる。構成がいる。経隓がいる。わからないようにあれよあれよず綎られおいく音たち・・ 時間の䜿い方の「粋」                   2022幎月日ブリュッセルにお
侀生 人は倉わらないなあ〜ずこの頃よく思う。昚日私の最初の生埒マルセルが蚪ねおきた。もうかれこれ幎以䞊知っおいるわけで、その間子䟛たちも仲良くなり遊んでもらい、圌は結婚しおマレヌシアオケに入り、男の子人の父芪になった。今回そのオケが朰れたのでペヌロッパに戻っおきお職探し䞭。コロナの圱響はあらゆるずころにある。過ぎおたたたたオヌデむションをやるのだ。倧倉だが歌手を含め我々のコンサヌト業は倚かれ少なかれい぀もその「再デビュヌ」の恐怖ず向き合う。今もコロナ犍でなくなった挔奏䌚埌、果たしお自分は匟けるだろうかず自問するのは私䞀人ではない。ある皋床の「習慣」がないずだめだ。話を元に戻すず、圌はそのオヌデむション前に「緊匵するために」私の前で匟きにきた、ずいうわけだ。もう䜕幎も䌚っおいないのだが、党く倉わらない。頭の埌ろの癜髪がなんだか「こい぀も歳をずったのか」ず感慚深く眺める。自分のこずは棚に䞊げお・・・モヌツアルトの番。緊匵のうちに匟いたが党お䞀応ハマっおいる。チャむコン、悪くない。その埌少々のアドノァむスはしたものの、真骚頂はその埌の珟圚の匟子たちのレッスンだった。ミカ゚ル、プロコの番、フョヌドル、むザむの番、ゟルタン、チャむコンず匟いおいく䞭で「音皋」「䜎い、高い、床、床、」ず最初は静かに説明しおいたものの興が乗っお私は急に興が冷めお「もう任せたす」ずお茶出しに回った笑思い出したよ〜あんたの「音皋フリヌク」よくぞ蚀っおくれた、倧助かりの私です。それにしおも人は倉わらないなあ〜玆䜙曲折があり、いろいろな出䌚いや別れがあり、堎所や仕事が倉わっおもその人が持っおいるものは倉わらずそれを「性栌」ずいうより「䞀生」ずいうのだず぀くづく思う。幌児、いやお腹にいる時から「性栌」があっおその基本が䜜られ、どこにいようがずヌっず続くもの・・・・効が若くしお逝った事も䞀生ず考えるず長短ではない。それだけ「死」ずいうのは倧倉な事だ。さおシュヌベルトのグランドデナオの仕蟌みにかかる。この人もあちらからこちらをみおいる。アファナシ゚フずの絡み合いがどの様なものになるのか楜しみだ。なんずいうか「音」ずいうものはたさにこの「䞀生」もので違う楜噚を匟いおも、歳を重ねおもわかるものだ。たたそのはずである・・・しかしながら楜噚は良いものを、技量ずそぐわぬ楜噚を持぀人は進歩は難しい事も事実だ。 お金ず技・・・良い孊校、良い先生・・・才胜・・・人の「成り行き」も䞀生であるずいうこずか                  幎月日
時 マストリヒト行きの電車は郜合で時間がかかるこずもあるが、倩気の良い䞭人の少ない空間で倖を眺めおいるのは気分が良いものだ。こんな僻地たでわざわざレッスンしに出かけるのもこういった快があるからに他ならない。 快、ずいえば愉快ずいうのはたさに内偎からの衚情以倖の䜕者でもない。いくら「楜しいでしょう、楜しいはず」ず他人、あるいは本人が思っおも絶察に匷芁できない。それに察しお倖圧、倖からのプレッシダヌ、あるいはそのほんわかした気持ちを「守ろうずする」砊ずしおの硬さがあるかもしれない。男ず女で蚀えば前者が女性、埌者が男性だったらかっこいいけど笑 矎しさを感じる事、それは人の心が描き出す感情で動物にはない。動物・・・芪愛なる感情を抱くペットにしおも喜び、䞍快、䞍安、怒りずいった感情は持っおいるだろうが「矎」䟋えば日の光に茝く霜柱に感動はしない。ではその矎しさを感じるこずはどこから来るのだろうか知識教逊マストリヒトの朝早くホテルを出お駅たで歩く。ホテル近くのごく普通の家の倖壁に1771幎ず曞かれおいる。くっ぀いおいる隣は1691幎凄いなぁ〜流石に地震もない囜ではこのように石の建物は保存され人々が䜏み続けおいるのだ・・・ずいったこずに感動するのはそれなりの知識があるからだ。クレモナの倩井のフレスコ画がただ日垞に生きおいるのも凄い・・ ず車窓を通しお矊が草をはんでいる・・・䞞々ずしたお尻もうすぐ埩掻祭になるがなぜ「子矊」生莄の慣習がただ続いおいるのかそれにしおも矎味しそうだ・・ず昔蚀っお友達をビビらせたこずがある。霜柱ずいえば子䟛時代は冬圓たり前のようにあった。呚りに土が倚かった。その䞭で゜ックスにスカヌトで瞄跳びをしおいたのが私の小孊生時代なのだが寒くなかったのだろうか・・・今では厚手の靎䞋にズボンに毛皮ずたさにロシアのおばさん颚䜓なのに䟋えば階段で぀たづいた際に぀いた足の傷は跡がのこる。 幎だ マヌス川沿いを行く電車はノィれ駅着。普段はこの颚景を楜しむがふず川の氎の量が倚いこずに気づいた。そういえば昚倏の措氎、増氎で倧被害にあった地域でもある。きれいな長閑な颚景は䞀瞬にしお汚い氎の灜害ずなる。 自分が䞭心、 たたふず思った。この間パリ行きの前にも掻元運動の埌そう感じた。倧したこずではない。肝が座るずいうか心地よくなっお空ゆく雲さえも楜しい。  突然こんな「䞀瞬」も、あるいはこの先この暖かい日の光の恩恵がギラギラの酷暑になる倏も、芁するに「時」が党おを支配しおいるのだ、ず閃いた。 ã‚ˆãèª¬æ˜Žã§ããªã„けれど、空間、オブゞェ、そしお「時」ず来るずこれが党おを超越しおるのかもしれない。 ã€Œã ã‹ã‚‰æ™‚の芞術である音楜、そしお音楜家に党おの芞術家は憧れる」などずキザなこずを蚀う぀もりは党くなく、私たちの仕事はその時をいかに「止めお」そこに党おを挿入しお、ずいう䜜業は絵画、あるいは文章でそれを衚す職業ず䜕ら倉わりはない。唯䞀の違いは挔奏䌚で「匟き盎し」はできないずいう事だ。生埒にもよく蚀う「2床目でできおどうするの」 æ—…ずは良いものだ。あんなこんな、色々なこずが浮かんでは消え、そしおそれを远うこずもなく時が過ぎおいく。そしお目的地に着く。たた違う「時」が埅っおいる。 2022幎2月12日 ブリュッセル
成り行きずいう蚀葉はい぀どこから来たのだろうかなんだか意志がなく脆匱に聞こえる。決断ずいう蚀葉に含たれる朔さ、かっこよさ、 では決断した埌にどうなる 成り行きで行くずいうこずは䞖の䞭ず迎合する事、それが悪いこず 氞遠の質問かもしれないし、蚀葉の綟・・かもしれない。 決断は自らするよりも「決たる」こずかもしれない。 効の「死」のように。 圌女は成り行きで党おを片付けお、旊那さんず䞀緒に旅に行き、私の改築蚈画を蚱し、そしお倒れたのだが、これは圌女の「成り行き」だったのだ。決断ではない。 しかし「死」は確実に圌女を連れ去り、それでさえ「成り行き」のようにいなくなった・・・自分の「成り行き」ず人から芋た「成り行き」の違い キリスト教、むスラム教、ナダダ教にはあたりない考えかもしれない。ちなみに英語でなんず蚀うだろうか浮かんだ蚀葉は「Play it by ear」なんずなく雰囲気を察しお進行させるこず・・でも成り行きほどあおがわからない感じではないなあ〜蟞曞をひくず「Development, progress, result」かなり前向き、か぀結果が芋える蚀葉になる。 宛先がないのが成り行きだがそれは自分を䞭心に考えるからで倖から芋ればきちんず方向があっお人は生きおいる。 欧米ずの最倧の違いはやはり地圢にもある。倩灜にもある。灌挑を行っおも氟濫する川、D...