旅、私の必然 冬眠状態のような生活の中、友人の酒井茜さんから「来週マルタとギドンとミッシャがパリで弾くよ」の言葉で目覚めた!「行きたい!!」 勿論チケットは完売。ブリュッセルでも滅多に演奏会情報に目を通さないのだからましてパリの事など知る由もなし?というヘンテコな理由で自己納得したところでどうにもなるものでもない。不安材料もある。このコロナ騒ぎで「旅」が果たして良いのか??日本行きならすぐに飛び乗るのにすぐ隣の国、フランスパリに躊躇してどうするの?オミクロンは怖くないけどできれば感染したくない。しかも次の日マストリヒト直行で室内楽試験を聞くことにもなっている・・・諸々の不安とそして一途の望み・・・チケットが手に入るのか?「運を天に任せる」 かくして前日「チケット大丈夫です」の茜ちゃんの言葉で「やった!!」とばかりにホテルを予約してタリス、電車の手配をする。コロナを心配して比較的空いてる時間帯・・などと言ってはみたものの現実はファーストクラスでも満杯でした。せっかく打ったワクチンの恩恵の「パスポート」も検査される事もなく1時間少々のブリュッセルーパリは近いものだ。ほぼ4年ぶりの「パリ」お天気も良く、北駅に着いたら思わず「もんた、パリだよ!!」と叫んでしまった(心の中です)妹、もも子もザルツブルグ留学の学生時代、時折パリに友人を訪ねて遊びにきていた。 なんだか遊園地のようだ。メトロの中でも「春」を感じるのは私の心がウキウキしているからかもしれない。ホテルに着き、荷物を預け昼食へ。思いもかけぬ晴天も相まってさてオルセー美術館、ラオル・デユフィの「Fee d’Elecricite」も見たいのだが、なんとなく我慢して部屋で待機する。別に私が演奏するわけでもないのに何故か疲れた心身で彼らの演奏を聴きたくない、そんな気持ちがした。 夜・・・満月を仰ぎながらフィルハーモニーのバルコニーに早々と着く。コロナチェックも終え会場に入る。人の流れを見ているだけでも愉しい。いただいた特等席に座り時を待つ。段々と増えてくる聴衆、絶え間のないおしゃべりが喧騒とも思えるが如くに響きを増す。マスクをつけていてもフランス人の会話はすごいエネルギーだ。まるで喋らなきゃ損、あるいは自分が存在しないかのようだ。そんな中に身を委ねる・・・午後の休養も必然だったかもしれないと思い始める。 満員の観客が席につくまで開演時間後10分はかかった。最初はミッシャとマルタのベートーベンのソナタ2番。懐かしい〜〜会場のせいかチェロの音が少し聞きづらかったがその辺は例によって見事なマルタのバランス感覚で無事乗り切る。ワインベルグのソナタ・・ギドン発見のこのポーランド人の音楽はいつも春めいている。和む。緊張のベートーベンの後にぴったりの選択だ。ギドンの音はよく通る。後半、ギドンが現在のウクライナの政情を懸念してのシルベストルのレクイエムを弾いた。シルベストルには以前会った事がある。どうしているのだろう?と顔が浮かぶ。ギドンのソロは空間にヴァイオリンの弱音が響き心にす〜っと入ってくる。締めはショスタコービッチのピアノトリオ2番だ。プログラムの流れも憎いほど完璧だ。私も数年前にブリュッセルでの復興コンサートの折、ミッシャとマルタと一緒に弾かせてもらった。ギドンとミッシャと知り合ってもう40年近くになる。ロッケンハウスで、あるいはミッシャがブリュッセルに引っ越してきた折に。子供たちも含めての家族付き合いもあった。マルタとは知ってはいたもののなかなかお近づきになるチャンスはなかったのだが、彼女もブリュッセル在住の時期があり翌夜中から時には明け方までお喋りしたものだ。ギトリスもいたなあ〜〜皆さんあんなにすごい人たちなのに人懐っこい。安心して自分をさらけ出せる。私はなんという果報者だろうか! 演奏会終了後コロナ禍で楽屋訪問は難しいかと思いつつ・・・運良くマネージャーのジャック・テレンを見つけたのでついていった。マルタに会い・・「どうだった?」と聞かれる。ギドンに会い「メールに返信しなくてごめん、朝食で会おう」ミッシャに会いまたまたジョークの連発!皆多大なる問題を抱えつつ、でも人は変わらないなあ〜〜マルタとは妹の死の話、ネルソンの死の話・・「それでも私たちは前を向いて愉しく生きていかなければいけないのよ」と彼女に言われた。 翌朝・・・興奮のあまり眠れない私とやはり数々の問題・・・例えば今ロシアにクレメラータ招聘の話が来月だよ?きたけどどうしたら良いかわからない・・・オミクロン、それに米ロ政情・・・という私の次元ではないけど「明日決めないと」と頭を悩ませるギドンとお喋りした。仙台国際コンクールの審査員に来てくれる。それだけでも大変な事だ!肩が痛いという・・・歳のせいか、それとも色々?天下の頭脳科は自身の分析も冷静だ。整体の話もしていて・・・それで「他には何をしてるの?」という問いにバッハのソロリサイタルをやった事。この辺から表情変わる・・今年ヴァレリーアファナシエフと共演の予定、の事。ギドン曰く「自分は自らの録音は全く聞かないけれどロックダウンの中昔録ったヴァレリーとのブラームスを聞いた。Am grateful that I did it・・・・コンクール、マスタークラス・・・色々話は尽きず・・・彼曰く「でも昔はもう少し人間的であったと思う・・・」最後に「プログラムはメニューと同じだよね。昨日のプロはほんと良かったよ」というと...
左手と右手、 冬休みにヴァイオリンはめんどうくさくて(仕事)ピアノばかり弾いていた。といえばかっこいいが、要するに自己満足の譜面読み。幸いにも学生時代ピアノが好きで続けていたおかげでブラームスのインテルメッツオをいくつか弾いたことがある。ラプソデイーの2番も試験で弾いた。グレン・グールド大ファンだった父の買ってきたレコードでop.117,118を嫌というほど聞いたものだ。自慢するのではないが小学校、中学ぐらいの記憶力というのはすごいと思う。やはり彼の弾いたモーツアルトのソナタ、C durも聞いてて覚えて弾いた。ワルトシュタインソナタもそうだ。その頃は家の中で音楽が流れるのは当たり前で父がヘッドフォンを使うのはN H K―F Mのエアチェックする時、そばで私とか妹が練習していたからだ。600本にもわたる膨大なオープンリールのテープに新聞の切り抜きの詳細。これをカードにして穴を開け、どの穴に棒を通すとどの曲が出る、演奏家が出る・・の整理をした。おかげでそのテープは2年前N H Kアーカイブに引き取ってもらうことが出来た。 さて昔を懐かしんで紐解いてみるがなんといっても左手が難しい。ヴァイオリンではこのように両手が違うことはしない。違う動作なのだが一つのメロデイーを右手と左手で音にする。運指、指を動かすのは左手なのだが・・・ピアノの楽譜に書かれている指使いなるものも、車の運転でナビを見ずに行ってみる性格のようで、また老眼には数字が小さく(これ言い訳)無視してとんでもない事をやってみても跳躍が多いとどうにもならず外れてばかり。昔ルドルフ・ゼルキンに「ヴァイオリンの音程悪くって」と自分で言ったら「ヴァイオリンはまだ調整できるけどピアニストは音程悪かったらtoo late!」と言われたなあ〜私は今まだ譜面読みながらだから鍵盤見れないし。勘?というほど身体は跳躍を覚えていないのでやはり外れる・・・「暗譜」を試みる。日頃から生徒たちには「暗譜するぐらいやって初めてテクニックに集中できるでしょ。なんでできないの?」とか言っている癖にいざ自分でやってみるとなかなか覚えられない。同じ和音だから良さそうなものだが、右手と噛み合わさると一つ音間違えれば和声的におかしい・・・この「和声」もクラシックのみで通用する「きれい、きれいじゃない」の感覚で息子が弾きたいというポップなどを調音してみると平行5度だらけだったりする。美意識というのはかくも教育、身についた感覚とは日常に既存する。 一番好きなのはop.118-2 覚えようとしてるのはop117-2今朝は初めてop.117-1一番有名なのになぜか触手が向かなかった曲。 全て覚えてマストリヒト音楽院のレッスンの合間に新品のスタインウェーで弾きたいものだと思ったのがきっかけ。しかしながら夢は程遠くそろそろipad購入か・・と。これもリュックでの重さが増えるなあ〜〜 身体以外のものはなるべく軽く。頭と心にはいっぱい詰め込んで何を持たなくても幸せでいたいものだ。         2021年1月3日 ブリュッセルにて