今年1月の寒い夜、オーマ、義母のお見舞いにアントワープ近くの病院に行った。ちょうど満月の折、道々月が寄り添ってくれた。綿谷恵子さんと出会い、彼女の亡くなったご主人シャルル・アンドレ・リナル氏が演奏するシェーンベルグ作曲の浄夜を聴いた。ブーレーズ指揮のアンサンブルコンテンポラン。そのあまりに正確な音程にはまった。音程でほぼ音楽を表せる、と恵子さん。 一度はやってみたい!そう思ってマストリヒト音楽院のストリングプロジェクトの候補曲とした。先生方と相談すると「ちょっと難しすぎるのでは?」「指揮者なしでしょ?」 「・・・・」 しかし困難な新しい曲ほど魅力的なものはない。夏に6重奏でやってみた。ボーイング、フィンガリング、その頃ちょうど来ていた朋友のミハエラ・マルティンの演奏を目の前にして盗んだ(笑) 6重奏と室内オケとの違いはただでさえたくさんの音が書かれているこの曲の内声部をどうするか?だ。それも経験薄の生徒たち相手に。 果たして練習の始まった日、覚悟はしていたもののほとんど絶句状態。25名を相手に大声で話す私の声は枯れる。老眼で音符は見えても小節番号があやふや〜各種メガネを取り揃えていたけど結局かけると弾けない。暗譜していない、特に室内楽の練習は頭が痛くなる。 生徒たちは「難しいな〜」ぐらいの危機感で事の重大さには気づいていない。まだ読譜状態の彼等に「私のためにやれと言ってるんじゃない。あなた方のためです。知れば知るほど面白さが増しますよ」と釘を刺すものの、実際練習は一つずつ詳細を把握していくしか道はなく、その間立っている他の楽器の子もいる。では分奏しては?と思うがそういうわけにもいかないほど小節ごとに楽器との絡み合いが変わっていく。仕方なく皆立って待ってる・・・予習してきた子達からは文句が出る。三日目ぐらいから皆事の重大さに気がつき始めた。自ら分奏をし始めて、やっとスコアを読む輩もいる。今はなんでも「与えられる」ものだからなかなか「自分から」を引き出すのに時間がかかる。「音程」「リズムが合わない」「お前が早い」「いやそっちが遅い」激化する生徒たちの態度に私はヴェーグの言葉を思い出していた。彼が昔カメラータザルツブルグの練習をする時よく言っていた言葉「感じなさい!!」「高い、低いではない、お互いを感じなさい。和音を感じなさい!!」最初ポカン?としていた彼らもやってみる。何より集中して「聴く」「感じる」事なのだ。だんだん合ってくる。テンポの運び方のやり方もわかってくる。誰と誰が一緒なのかもわかってくる・・・一度味を占めると、あとは「あと2日しかない」「あと1日だ」と何だか必死になってきた。 この頃私自身はくたびれ果てていて、隣で弾いてくれた米元響子さんに任せたりした。彼女はヴィオラの分奏も付き合い、ヴィオラの先生を呼んできて分奏を手伝ってもらった。すごいな〜感謝しかない。一緒にプロジェクトをやっているチェロの先生、ガブリエル・シャウベさんにも音頭とってもらった。彼は他にブリテンのシンプルシンフォニーとラールソンの美しいチェロコンチェルトも弾く。「浄夜一緒にひいてくれる?」の問いかけに「喜んで!」と参加してくださり、だいぶ引き締まってきた。 もう一つの難点は曲をどうやって最後まで持っていくか?だ。多々あるクライマックス、多々あるmolto ritardandoを全てやっているわけにはいかぬ。どうやって大きな線を追うか?私の毎朝の仕事はヴァイオリンを練習する、のではなくとにかくスコアを読み練習箇所を見つけることになった。このような作業をしたのは久しぶりだ。マストリヒトの朝は寒くその中楽器を持って歩いて出かける。昔桐朋生時代に朝7時半に練習室が空いてるからピアノトリオ全部読もう!!と早朝練習した事、ブラームスのゼクステットを半年かけてやらせたもらった事、シューベルトの弦楽5重奏をこれも丹念に内声ばかり練習した事・・などを思い出す。今回はまだあまり人気(ひとけ)のないマストリヒトのコンセルバトリーで朝日の中スコアを紐解く愉しさを味わった。愉快だ! そうやって迎えた本番当日、ソロを弾くのとはまた違う緊張がある・・というより緊張感の質が違う。演奏は概ね良かったと思う。何より学生たちが各パートの仕組みをわかってきて、そうすると自由にみんなでイニシアチブを取りながらルバートしたり行ったり来たりすることができる。室内楽の醍醐味!私はとにかく最後まで持っていく役目をした。途中アクシデントもあったり自らソロ外したりした。全く!と歯痒い。なぜ練習では一度も外さなかった箇所を外すのだろう?この頃ある現象でもある。ま、学生には良い教訓になったかもと自らを収める(笑)「挑戦」が思いもかけぬ良い経験になったのは生徒のみならず私も!でした。              2023年11月マストリヒト