Category 2019-2023


9月、12年ぶりにインディアナポリス国際コンクールの審査員のために渡米した。
アメリカヴィザ申請の考えも及ばぬ大変さを乗り越え、ニューヨークに着いたときは感慨
深いものがあった。
思えばひとときアメリカはそこを住処として生活していた国なのだ。
英語はその頃からちっとも進展を見せず。相変わらずのベルギーでの「第二言語として英
語を話す」文化の中に浸って久しい。
家族、生徒との会話も日本語のように表現することなく過ごしてきた。
「しみじみと」「ねっとりと」・・などの言葉を訳することの難しさよ!


さてそのアメリカ上陸で最初はまさに航空会社のカウンターの人が言っていることも聞き
取れず・・・しかし数日するとそれまでなくなっていた荷物が出てきたようにだんだん耳
も慣れてくる。


コンクールの審査が始まった。
一度音楽となるとブロークンもなんのことない、感じるものは感じるのだ、そしてそれで
会話は成立する。
今回はインタビューやらパネルデイスカッションやらなかったので良かった〜
ガラオープニングセレモニーも12年前の「ド派手さ」を意識して真っ赤のドレスを着たの
は私だけだった・・・
コロナ以来閉まっているショッピングモール、レストラン、ダウンタウンは朝からジャン
キーやら酔っ払いがウロウロしていて一人で歩くのは怖い。いつもかなり緊張して早足で
歩いたものだ。


しかし会場まで15分ほどの徒歩通勤は悪くない。音楽に入る前、あるいはたくさんの若手
ヴァイオリニストを聞いた後、清々しい外の空気を吸いながら、コオロギの声に耳を傾け
ながら「ああ〜秋だな〜」と思いつつ歩いた。
審査員と一緒に歩くことも珍しくなく、会話が弾んだ。
一度ジェイミーラレードと一緒に歩いた。彼とは81年だったか私がパリで同居していたク
ララとその家族の紹介で会った。その時食べたのが「Steak au poivre」だったよね、と言
ったら「よく覚えているね〜〜」と。その後マルボロのみんなの消息を聞いたりしながら
。彼の妹さんも亡くなったこと、ゼルキン一家のみんなの様子を聞いたり、マルボロ音楽
祭の話を聞いたりしていてこの時々の若者の演奏についても話した。
「Time flies!」と私が言ったら即座に彼は「Time Changes!」という。確かに若者が知
らない古の名前や演奏がたくさんある。これは今回のコンクールを聞いていてよくわかっ
た。
そしてこんな簡単な英語ですら、「Time changes」時は変わるんだよ、には重みがあった
。なんというか彼全てが背負っている背景、感情、情緒ともいうべきことかもしれないと
思った。
言葉に精通するということはこういった体験、経験によって裏打ちされていく言葉の重み
を背負う事に他ならない。
音楽用語にしても然り、「grazioso」優雅に〜の言葉は旋律と一緒に身につくのだ。


元々22年間日本だけで育った私は「言葉は思想」の意味を痛いほど理解し、42年前にエリ
ザベートを取った以後、拙いフランス語や英語で生きてきた我が半生をどこか軽蔑してい
る。日本語同様フランス語もきちんと勉強して、あるいは江藤先生のおっしゃったように「一つで良いからきちんと」の英語を勉強する・・はずがベルギーというぬるま湯の中に
浸ってしまっている。
その上ただでさえ会話において全てを言葉にしないのは日本語でも同じ事。家族との会話
では特にそうで「お願いだから全部言ってよ。何考えているかまで頭の中まではわからな
いのだから」と夫によく言われる。ただでさえ「割愛」が多くその上「英語」ではわかっ
てくれ、というほうがおこがましいのだろう。


その後審査も進み、審査員とのよもやま話に花が咲いた。なかなかこのように世界中のヴ
ァイオリニストが一堂にしかも17日間にわたって集うことはない。音楽祭のように自分た
ちが演奏するわけではないが、色々話は尽きない。もちろん美味しい食事を兼ねて!
そのうちみんなは「英語じゃなくてYuzukoなんだ」と私の不可解な英語を理解してくれよ
うと努力してくれた事には本当に感謝する。


アメリカの多大なる食の量に圧倒されながら最後は全て「シェア」分けて食べるという
・・冷房のきつさもたまったものではない。なぜ外の秋の風、コオロギの鳴く空気のその
ままではいけないのか?いつも会場に入るたびにセーターもう一枚、靴下履いて・・とや
っていたのは私だけではない。省エネ?という言葉をついに一度も聞く事なく終わったア
メリカ滞在でもあった。
17日間逗留したホテルの部屋の清掃では「タオルもシーツも変えなくて結構です」と置き
手紙をしない限りは毎日全て取り替えられる!冷房と相まってなんというエネルギーの無
駄使いだろかと危惧した。


言葉に話題を戻すと、では私たちがヨーロッパで会話しているあの「英語」はなんなのだ
ろうか?という事になる。そこに情緒はないのか?
「I Love it!」という感情を移入するからこちらの心に「ぐん」とくる。
私の場合経験によってその時々の情景、感情に関して言葉の近さが違うので自ずとちゃん
ぽんで話す事になる。
いっときは子供たち二人のフランス語小学生6年間やれば私も「完璧」を夢見たがとんで
もない、いまだにミックスも甚だしい、英語とフランス語と日本語と出てくる言葉で会話
するのだから全てわかってくださる方々もそう多くはない。日本に長くいるとだんだん四
字熟語も間違えなく出てきたりして・・アメリカでは毎日なんか一つ言葉覚えて、実際使
ってみるうちに感情も移入できて意味をなしてくる。


要は言葉の持つ重み、意味とはその人が生きてきた、いや、生きている環境によって異な
るという事。たくさんの言語を操るのが良い悪いではなく、たくさんの語彙があるのが良
い悪いではなくて、いかに深くその言葉と関わっているか?そしてそれから紡ぎ出される
文章、思想へと持っていけるか?が大切なのではないだろうか。
「言葉は思想」と思い日本語のブログを書きつつ、あるいは日本語でしか本が読めないと
いう私もその一つの型なのだろうと思う。
もっとも本業であるヴァイオリニストでは音という媒体でしかも歌手のように歌詞もない
!勝手に想像して感情移入してそれで音が豊かになればもっけの幸い!という商売をでき
ている事に感謝する。
                2022年10月ブリュッセルにて

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