左手と右手、
冬休みにヴァイオリンはめんどうくさくて(仕事)ピアノばかり弾いていた。
といえばかっこいいが、要するに自己満足の譜面読み。幸いにも学生時代ピアノが好きで
続けていたおかげでブラームスのインテルメッツオをいくつか弾いたことがある。ラプソ
デイーの2番も試験で弾いた。グレン・グールド大ファンだった父の買ってきたレコード
でop.117,118を嫌というほど聞いたものだ。自慢するのではないが小学校、中学ぐらいの
記憶力というのはすごいと思う。やはり彼の弾いたモーツアルトのソナタ、C durも聞いて
て覚えて弾いた。ワルトシュタインソナタもそうだ。
その頃は家の中で音楽が流れるのは当たり前で父がヘッドフォンを使うのはN H K―F Mの
エアチェックする時、そばで私とか妹が練習していたからだ。600本にもわたる膨大な
オープンリールのテープに新聞の切り抜きの詳細。これをカードにして穴を開け、どの穴
に棒を通すとどの曲が出る、演奏家が出る・・の整理をした。おかげでそのテープは2年
前N H Kアーカイブに引き取ってもらうことが出来た。
さて昔を懐かしんで紐解いてみるがなんといっても左手が難しい。ヴァイオリンではこの
ように両手が違うことはしない。違う動作なのだが一つのメロデイーを右手と左手で音に
する。運指、指を動かすのは左手なのだが・・・
ピアノの楽譜に書かれている指使いなるものも、車の運転でナビを見ずに行ってみる性格
のようで、また老眼には数字が小さく(これ言い訳)無視してとんでもない事をやってみ
ても跳躍が多いとどうにもならず外れてばかり。昔ルドルフ・ゼルキンに「ヴァイオリン
の音程悪くって」と自分で言ったら「ヴァイオリンはまだ調整できるけどピアニストは音
程悪かったらtoo late!」と言われたなあ〜
私は今まだ譜面読みながらだから鍵盤見れないし。勘?というほど身体は跳躍を覚えてい
ないのでやはり外れる・・・
「暗譜」を試みる。日頃から生徒たちには「暗譜するぐらいやって初めてテクニックに集
中できるでしょ。なんでできないの?」とか言っている癖にいざ自分でやってみるとなか
なか覚えられない。同じ和音だから良さそうなものだが、右手と噛み合わさると一つ音間
違えれば和声的におかしい・・・この「和声」もクラシックのみで通用する「きれい、き
れいじゃない」の感覚で息子が弾きたいというポップなどを調音してみると平行5度だら
けだったりする。美意識というのはかくも教育、身についた感覚とは日常に既存する。
一番好きなのはop.118-2
覚えようとしてるのはop117-2
今朝は初めてop.117-1一番有名なのになぜか触手が向かなかった曲。
全て覚えてマストリヒト音楽院のレッスンの合間に新品のスタインウェーで弾きたいもの
だと思ったのがきっかけ。しかしながら夢は程遠くそろそろipad購入か・・と。これもリ
ュックでの重さが増えるなあ〜〜
身体以外のものはなるべく軽く。頭と心にはいっぱい詰め込んで何を持たなくても幸せで
いたいものだ。
2021年1月3日 ブリュッセルにて