良く江藤先生は曲を造る時は詳細は細かく、遠くから見たときは西洋画のように遠近法を使ってあり一目見て「あ、きれいだな」というのが良い、と言われた。要するに手元の事は筆使いのごとく細かくひとつずつなのだが全体の把握をしてないとダメという事でもある。
久しぶりに日曜散歩した。ロシア、フィンランドの旅から帰りずっと教えていて今日はやっと休日、犬とふたり?の静かな空間で夕方思い立って森に行ってみる事にした。本当ならば犬を放して思う存分走らせてやりたいけど、私ではもし何かあった時追っかけられないというか犬は私の言う事を聞かないので断念。昔子供たちと毎日ピクニックに出かけたソルベー公園、森の入り口に行った。もう夕刻で残照が美しく風のない晩秋に見事に色づいた木々たちに迎えられた。黄色、オレンジ、しなだれる枝・・・昔とほぼ何も変わっていない。ここは大きな木の下で遊んだところ、ここはかけっこしたところ、上の散歩道を行くと遠くに八角形の屋根が見える、紅葉の中にあってその形が美しい、遠景にはさらにオレンジ色を増した森・・・・思わず足を止めて見とれた。完全な美だ。形、とはリズムのようだ。これがはっきりしっかりしている事がまず音楽の基本。
またまた歩いていく。昔道子の誕生会をやったところ。3歳だったかな、そのリンゴ果樹園をとおり今度は八角形の屋根の下に来た。反対側を見ると廃屋にはなったが形だけはとどめているお城が見える。これもまた美しい!詳細は見えないがその形の美しさは周りの風景に同化している。傾斜があるのでこのように景色が見え隠れする。マッシュルームの石の椅子、よく友達と子供たちと一緒に遊んだ。彼女はもういない・・・
左門を抱っこして道子もおんぶしたという体力ある若き母親、私の登った坂。今日は犬がおともで適当にあっちこっちにおいをかぎに止まってくれるので息もきれない。
いつも言葉以前の時代との付き合いが好きなのかもしれない。子供たちが小さい時もここでは話しをするというよりは自然に親しむ、囲まれる、そんな時間を共有して帰ってきた。犬は何も言わずについてくる。それでも一人で歩くのとは大違いだ。
近い事、、、今現在の歩みと、遠景、昔の事を思い出すひと時、人生終わりに近づいて、とかキザな事は言わないけれど確かに回りの状況は変わってきている。
過去現在未来・・・全て含めた一瞬を絵に閉じ込めるような、そんなひとときだった。
2019年11月17日ブリュッセルにて