Category 2019-2022

シルクロード、正倉院御物

 

東京での数少ないフリータイムの数時間が空いたので上野の国博に出かけた。

正倉院展をやっている。

シルクロード訪問を小学校時代の夢としていた私は正倉院こそシルクロードの終着点という言葉にときめいたものだ。

洋の東西をつなげる道があるなんて!

そのころは映像も資料もあまりなかったのでヘドウィン「さまよえる湖」などを読んで想像をたくましくしたものだ。

 

2011年に家族で唯一のバケーション、トルコに行った折りの事はゆずノートにも詳しく描いた。カッパドキア・・などという夢のまた夢の場所を訪れる事が出来、隊商宿を復元したところ、イスラムとキリスト教の共存・・など興奮して歩いた。ギリシャ文明からまた目は東へ向いた。そのあとはブリュッセルに帰りまた一杯調べた。地図を追い、次の東トルコからの旅を計画・・・残念な事にその後は政情も怪しくなり時間もなくなり旅には出ていないが、興味はつきない。イスファハン、桜蘭、敦煌、北方ステップ路にはキルギスの杏の里もあるという。顔つきもまさに東西を混ぜ合わせたものだ。昨今研究も進み、ヨーヨーマのシルクロードアンサンブルでは音の世界も味わう事が出来る。

 

正倉院御物は聖武天皇を失った光明皇后の哀しみから、祈りを込めて作られたものだ。それまでバラバラだった技術がものすごい数の詳細目録とともに奉じられた。

これらの御物を奉ずる事でどうか迷うことなく阿弥陀の世界へ導かれますように・・という彼女の祈りは仏教だが、仏教が日本に入ってきてからそれほど時間が経ったわけでもないだろう、と自問する。大仏ができたのが確か聖武天皇の時?

キリスト教から比べると随分早い時間で日本へなじんでいった。

今でもヨーロッパの動きの遅さと日本の傾倒の速さは対をなすが実は根底に宗教の基礎概念があるのではないだろうか?今ヨーロッパが対面している危機とはまさにキリスト教の「当たり前」が壊れている事にあると言ってもおかしくない。

しかしながらシルクロードの昔はアラブの壁に十字架が使われていたりしたのだ!

カッパドキアではキリスト教信者は隠れて地下都市に住んだが・・・

 

歴史は繰り返すのか?あるいは人間の営みとはそういう事なのだろう。

 

今日は雨の中、母を訪ねて施設を訪れようか、正倉院展に行こうか迷ったのだが敬愛する友達に背中を押されて、普段乗った事のない大井町線やら京浜東北線を乗り継いで上野に行った。

雨にもかかわらずたくさんの人出、陳列されているガラスのそばで見ることなどとてもできないし、並んで押されて次に行くのも嫌なので少々遠くから、説明を読みながら歩いた。

 

獅子狩文錦の布地があった。1400年も前の生地が残っている事は奇跡だ。

昔私が夢中になっていたシルクロードに母もやはり傾倒した。当時コンクールを受けたのだが、いつもドレスは母が手縫いで作ってくれた。その時は獅子狩文錦の刺繍だかをしてくれたのを思い出した。なんという手作業だろう。

施設にはいかなかったけれど母と時間を共有したような気持ちになった。

そして明日またブリュッセルへと戻る、洋の東西は道を歩くのではなく片道10時間あまりという空の旅になった。なんという便利さだろう。しかし1400年もの昔の美を今見る時、我々何か進歩したのかなとも考える。

2019年11月ブリュッセルにて

 

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