Category 2019-2022

時差と隔離


今日は妹の納骨だった。私の帰国に合わせて調整した師走の日だったが結局出席叶わず。
妹のご主人とその妹夫婦、それに友人一人、葬儀社の内田さんもきてくれた。モーツアル
トの埋葬を思わせるヨーロッパの暗い灰色の空に比べて雲一つない晴天の若葉町で、もも
子は今父と母と共に眠っている。半分はご主人の家族の墓に入るそうだ。


昨日はブリュッセルの自宅に少しだけ持ってきた骨を眺めて。白い・・
母のものと一緒にしようかと思ったけどやはりやめた。


時差はやってみないと絶対わからない。あの辛さ。多分肝臓だと思うのでだるさ、そして
夜中の元気加減はなんとしても免れぬ。長旅のすぐあとはまず爆睡、そして興奮している
ので数日は良い。だんだん無理をして起きる、仕事するなどで疲れが溜まってくる
・・・1週間ほどした頃またど〜んと出る。ちょこちょこ、とにかく眠たい時に寝るしかな
い。40年やっていても慣れるということはなく、年も重ねてくると回復には時間がかか
る。2−3週間した頃「あれ?なんだっけ?」とけろりと今度は夜普通に眠たくなる。


コロナ騒ぎで隔離が始まった。2週間自宅待機。時差調整にはもってこいの時間だ。


1年ほど前「指定された場所で待機」が始まった。指定された場所とは要するにホテルな
のだがこれが辛い。最初は成田のマロウド、なんとツインの部屋を与えられた!せっかく
持ってきたフルーツはかわいい検知犬に全て没収されてしまった〜3食冷や飯は辛い。そ
の上毎朝一斉に館内放送で「今日退所される方の検査のため〜〜」朝6時だ。それから7
時に「朝食の準備をします。外に出ないでください」外と言ってもドアを開けることがで
きるのはこの食事を取るときのみ。この放送が3回ある。到着日の次の日から3日間だった
。2日目の夜ぐらいからキツくなる。
2度目は妹が心肺停止で急ぎ戻った。今年6月の最初の事だ。それを空港検察官に言った
ところで変わるわけでもない。「何かあったらまたホテルで電話してください」という「
何かあるとは?」「お葬式とか・・」「そうなる前に会えないのですか??」悶々としな
がら今度は潮見のアパホテルのシングル。いやあ〜狭い。ご飯はますます悪化、味噌汁、
スープ類もサラダもなかった・・・3日間の隔離が終わり病院に駆けつけ・・・毎日数回
かかってくる電話での位置確認ヴィデオ。出られなくてかけ直すことはできない。いつも
罪悪感に襲われる。その後つてを頼り「危篤状態の妹を見舞うのは不要不急ではなく最重
要緊急です」と保健所まで電話したが何度か担当が変わった後「いずれにせよ法的能力は
ありませんから。公共機関だけ使わないように」とのお達しでその後は堂々と病院がよい
をした。
3度目はまた成田で東横イン「大きめの部屋にしてください」「なぜですか?」「荷物が
多いのとヴァイオリン練習します」ついた場所は今までで一番狭かった・・・
苦情を言えばいい?
13時間の飛行機の旅、そのあとアプリ等を入れる、コロナ検査結果待ち時間2−3時間
、この頃の水際は8時間とも聞く。「240番、243番」と呼ばれる待機時間の中で
「241番を持つ私は陽性なのか?」とストレスが増す。ようやく待機場所ゲートから出
て、そのあとプラスチックに覆われ中からも外からも見えないバスでホテルまで移動。私
たちは囚人か??
そこで部屋を割り振りされるわけだが、もう精魂尽き果てているのだ。交渉どころではな
く一刻も早く部屋で休みたい・・・そんな状態で文句を言う人はいるのだろうか?
このホテルではちょっとでもドアを開けるとアラームが鳴った。刑務所をもじり我々は「

アパ刑」と呼んでいる。口内炎になり、運動不足をなんとか活元運動で飛ばし、ヴァイオ
リン?弾けないなあ〜


その後羽が生えたように自宅に戻る。これも家族が迎えに来ない場合はハイヤーを雇うし
かない。


毎日スマホに数回画像を送る、位置確認?
これを計14日間やって外に出るときの方が怖い。私たちはP C R検査3度陰性なのだが世
の中の方々は??と思ってしまう。


とさてさて今思い出しつつ書いているが、これもまた忘れてしまう出来事なのだ。


人間の能力の一つなのだろう。もしお産の痛さ、辛さを一生覚えているならこの世に兄弟
姉妹など生まれるわけがない!


その妹を亡くした・・
半年以上経って納骨の日、一人上記のような環境が3日から6日になったら耐えられぬ、
と今回の帰国断念を少々悔いている。少々とは私の心の問題というよりは周囲の方々への
思いかもしれない。
それが日本の習性だ。


その場にいない、住んでいない事。今まで40年私自身がたくさん動くことでどの土地に
も住んでいるような錯覚に陥っていた自分がいる。それをあたたかく見守ってくれている
家族がいる。


さて・・来年はどのくらい動けるのだろうか・・・
ともあれ父も母もそして唯一の姉妹である妹までも「動いて」あっちに行ってしまった!
世界でウロウロしている私を笑ってみてくれている事だろう。


合掌                 2021年12月末ブリュッセルにて

Leave a Reply