成り行きという言葉はいつどこから来たのだろうか?
なんだか意志がなく脆弱に聞こえる。
決断という言葉に含まれる潔さ、かっこよさ、
では決断した後にどうなる?
成り行きで行くということは世の中と迎合する事、それが悪いこと?
永遠の質問かもしれないし、言葉の綾・・かもしれない。
決断は自らするよりも「決まる」ことかもしれない。
妹の「死」のように。
彼女は成り行きで全てを片付けて、旦那さんと一緒に旅に行き、私の改築計画を許し、そ
して倒れたのだが、これは彼女の「成り行き」だったのだ。決断ではない。
しかし「死」は確実に彼女を連れ去り、それでさえ「成り行き」のようにいなくなった
・・・
自分の「成り行き」と人から見た「成り行き」の違い?
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教にはあまりない考えかもしれない。ちなみに英語でな
んと言うだろうか?浮かんだ言葉は「Play it by ear」なんとなく雰囲気を察して進行させ
ること・・でも成り行きほどあてがわからない感じではないなあ〜
辞書をひくと「Development, progress, result」かなり前向き、かつ結果が見える言葉に
なる。
宛先がないのが成り行きだがそれは自分を中心に考えるからで外から見ればきちんと方向
があって人は生きている。
欧米との最大の違いはやはり地形にもある。天災にもある。灌漑を行っても氾濫する川
、D N Aに含まれているのよ、と言わせるほど訪れる「津波」
「最後まで絶対諦めずに解決策を」と叫び、実際行うことが美徳とされる世界観との違い
だ。
戦っても流される。
成り行きに「身を任せる」しかない。
ヨーロッパのコロナ対策で各国のとる反応はその国の特徴をよく表す。
なぜオーストリア、イタリアがワクチン義務になったのか?ドイツの非接種者への見せし
め?フランスはもともと反対意見を表すところだから大統領の言葉とそれに反するデモが
起こる。オランダはロックダウン、ベルギーは成り行き〜で皆開いているが劇場は「開け
てもいいけど200名です」と言われると1000人の会場では閑古鳥の感は拭えない。
これほどまでに「E U」と言うものの脆弱さを示す結果になろうとは。それこそ大陸一丸
となって封鎖していれば?とも思ってしまう時期があった。
私も「成り行き」でワクチン打ちました。まともな社会生活ができなくなってきたからだ
。もちろん必死で解毒したけど!将来のことはわからずとも現段階では正しい選択だった
と思っている。国家に抵抗するには体力も気力もいる。他のことに使いたいのだ。
文化は歴史は地理に追うところが多い。地震の多い島国と大陸では違う。アメリカとヨー
ロッパでも違う。アジアの国の中でもイスラム教のシンガポールなど、カトリック教、韓
国、フィリピン、そして仏教、ベトナムでは居心地が違う。そう感じるのは私が日本人で
日本で育ったからだ。
成り行き〜
かと言って今の生き方の何が変わるわけでもないのだが、なんだかふとそんなことを思っ
た。
2022年1月末 ブリュッセルにて
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母と妹が亡くなった頃から花を花瓶に生けることが多くなった。そのうちネットで見ていたらちょっとした工夫で生花と言うものが手が届く範囲にあるのだとわかった。野の花を摘んでくる・・・犬の散歩に行くたびに「わ〜この枝欲しい、赤い実可愛いなあ」と足が止まる。花屋さんに行ってブーケではなく一本ずつ選び、それをなんとなく飾ってみる。剣山、ハサミ、今はネットですぐ取り寄せ可能。ベルギーにもフランスにもオランダにも「ikebana」で検索すると出てくるのだ。そんなおり、コスモスいっぱいの農場を娘・道子に紹介してもらった。そこは街の管轄下にありコスモス一本50セント、ダリアは80セントです・・鉄の箱に自ら入れる。その時なかったら後でもいい。まとめて入れておいてもいい・・・うちから歩いて15分。東京の我が家では歩いて野川まで白鷺、カワセミを見に行くのが道子との夏休み夕方の楽しみだった。今や独立している29歳の娘と一緒に散歩するのは本当に贅沢な心温まる時間だ。ブリュッセルでもそんな場所があればいいな〜と思っていたのでタイミングバッチリでハマってしまった・・・何しろ色々な花を摘める。もう冬も近くで花も終わりかと思うけど菊類はまだ。ダリア系も健在だ。だんだんやっているうちに花の持ち様もわかってきてどれをどのように切っていけば良いかもわかってきた。季節がらススキも多くその処理の仕方もネットで教わった。水切りの仕方、ススキの葉の裏にクリームを塗ることなど・・・花によっては1週間、2週間経っても健在なものもあってびっくりする。 紅葉は木から外れるとすぐに黒ずんでくる・・どんなに綺麗な赤も黄色も色が悪くなる。見事な黄色の花畑が今は茶色に朽ちていく。そして土に還る・・まさに一生とはそう言うものなのだろう。 2023年11月ブリュッセルにて
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今はベルギーデイナンにいる。マストリヒトでのシェーンベルグ「浄夜」の後、家に2日、その後ここにやってきた。3年前のコロナ禍のヒマ〜〜な時に依頼を受けた。「なぜ私?」と聞くとプレジデントのアラン・クレパン氏が「サキソフォーン以外の楽器の人の音楽的意見を尊重したい。来てくれたら大変光栄です」サキソフォーンはアドルフ・サックスの生誕地ベルギー・デイナンで生まれた。その後フランスで有名になった。このベルギー生まれでフランスで有名になる、はよくある話でジャック・ブレルもベルギー人だがフランスシャンソンの大御所だ。アメリカの元大統領クリントン氏もサックス愛好家でベルギー滞在中にここを訪れたとも聞いた。 何だか面白そう! その「面白そう」に引きずられて今まで生きてきた私にとってその直感を試す意味もありやってきた。今はこのコンクールのレベルの高さと運営の素晴らしさに感嘆している。サキソフォンコンクールでは世界一なのだそうだ。200名近い応募の中100名近くまで絞り、私が参加したセミファイナルでは18名が演奏した。日本人も5名含まれている。他にロシア、フランス、イタリア、ウクライナ、ポーランド、などから出場している。審査員はなんと16名!私一人「部外者」の他に彼女の曲が課題曲に選ばれて18回聞く羽目になったニーナ・センクもソロベニアからやってきた。 以前サキソフォンの生徒にレッスンをしたことがある。フランクのソナタを見て欲しい・・と言われ興味半分で聞いてみたのだが旋律を奏でる際のヴィブラートもフレーズもヴァイオリンに似ていると思った。これなら私でも審査できるかな?と思ったのだが・・何しろ全く知らない曲ばかりだ。それに奏法もまあ色々ある事!舌を使って何やら打楽器のよう?高音ですすり泣く声はうちの犬がおねだりの時よくやるなあ?重音を吹けるなんて知らなかった!時に消防車の様だ。その上全て楽譜を見ながら聴いていてもEs管、B管というのはなんとも譜読みが大変で、ピアノパートかリズムを追っていくのも何しろ速くて!その上日本から審査にいらしている井上麻子先生によると「ドビッシーが古典です」というので全ての曲はそれ以後に書かれている。ヴァンサン・ダヴィッドの曲が多い。綺麗なソナタやら超絶技巧やら、フィリップ・ルルーの協賛者にクロード・デランジュ教授がいる。その人がちょうど私ぐらいの歳でカフェでコーヒー飲んでた・・・と後から麻子さんに聞き「え〜living composerなの?」ときくとそうですよ。サックスは何しろ新しい曲ばかりです。それに曲の数もまだ少ないという。 私たちにとってバッハ・ベートーベン、ブラームス、シューベルト・・・ストラヴィンスキーだってもう亡くなっているわけで隣のおじちゃんの曲弾く?環境とはだいぶ違うなあ〜楽器も管楽器の中では一番新しく、色々改善されてできたもの、かつまだまだ改善の余地のある楽器だと隣の楽器屋さんが言ってた!300年前の木でできたヴァイオリンという楽器を使う世界とはまた違う。しかし若者の熱気、才能、国境を越える音楽を改めて感じた。 ロシアから3名がファイナルへ。日本人2名、そしてイタリア人1名という6名が金曜、土曜本選に進んだ。 個人差はもちろんあるものの以前ヴァイオリンの世界にあったロシア式、フランス式の様な違いも垣間見た。奏法というよりどこに重点を置いているか?が興味深い。ある候補者のピアノ伴奏はチャイコフスキーコンクールで2位になった人だった。ずっと一緒にやってきたからとわざわざこの日のためにここデイナンにきてくれたらしい。ピアノといえば伴奏者の大変さも並大抵ではない。曲も難しいし、奏法も色々あるし・・ 分野は違えど音楽は同じ。審査員同士では話が弾む。もちろん美食の街ベルギーならではの料理に舌鼓を打っている事も含めて! 金曜、土曜とファイナルが楽しみだ。 2023年11月デイナン、ベルギーにて
今年1月の寒い夜、オーマ、義母のお見舞いにアントワープ近くの病院に行った。ちょうど満月の折、道々月が寄り添ってくれた。綿谷恵子さんと出会い、彼女の亡くなったご主人シャルル・アンドレ・リナル氏が演奏するシェーンベルグ作曲の浄夜を聴いた。ブーレーズ指揮のアンサンブルコンテンポラン。そのあまりに正確な音程にはまった。音程でほぼ音楽を表せる、と恵子さん。 一度はやってみたい!そう思ってマストリヒト音楽院のストリングプロジェクトの候補曲とした。先生方と相談すると「ちょっと難しすぎるのでは?」「指揮者なしでしょ?」 「・・・・」 しかし困難な新しい曲ほど魅力的なものはない。夏に6重奏でやってみた。ボーイング、フィンガリング、その頃ちょうど来ていた朋友のミハエラ・マルティンの演奏を目の前にして盗んだ(笑) 6重奏と室内オケとの違いはただでさえたくさんの音が書かれているこの曲の内声部をどうするか?だ。それも経験薄の生徒たち相手に。 果たして練習の始まった日、覚悟はしていたもののほとんど絶句状態。25名を相手に大声で話す私の声は枯れる。老眼で音符は見えても小節番号があやふや〜各種メガネを取り揃えていたけど結局かけると弾けない。暗譜していない、特に室内楽の練習は頭が痛くなる。 生徒たちは「難しいな〜」ぐらいの危機感で事の重大さには気づいていない。まだ読譜状態の彼等に「私のためにやれと言ってるんじゃない。あなた方のためです。知れば知るほど面白さが増しますよ」と釘を刺すものの、実際練習は一つずつ詳細を把握していくしか道はなく、その間立っている他の楽器の子もいる。では分奏しては?と思うがそういうわけにもいかないほど小節ごとに楽器との絡み合いが変わっていく。仕方なく皆立って待ってる・・・予習してきた子達からは文句が出る。三日目ぐらいから皆事の重大さに気がつき始めた。自ら分奏をし始めて、やっとスコアを読む輩もいる。今はなんでも「与えられる」ものだからなかなか「自分から」を引き出すのに時間がかかる。「音程」「リズムが合わない」「お前が早い」「いやそっちが遅い」激化する生徒たちの態度に私はヴェーグの言葉を思い出していた。彼が昔カメラータザルツブルグの練習をする時よく言っていた言葉「感じなさい!!」「高い、低いではない、お互いを感じなさい。和音を感じなさい!!」最初ポカン?としていた彼らもやってみる。何より集中して「聴く」「感じる」事なのだ。だんだん合ってくる。テンポの運び方のやり方もわかってくる。誰と誰が一緒なのかもわかってくる・・・一度味を占めると、あとは「あと2日しかない」「あと1日だ」と何だか必死になってきた。 この頃私自身はくたびれ果てていて、隣で弾いてくれた米元響子さんに任せたりした。彼女はヴィオラの分奏も付き合い、ヴィオラの先生を呼んできて分奏を手伝ってもらった。すごいな〜感謝しかない。一緒にプロジェクトをやっているチェロの先生、ガブリエル・シャウベさんにも音頭とってもらった。彼は他にブリテンのシンプルシンフォニーとラールソンの美しいチェロコンチェルトも弾く。「浄夜一緒にひいてくれる?」の問いかけに「喜んで!」と参加してくださり、だいぶ引き締まってきた。 もう一つの難点は曲をどうやって最後まで持っていくか?だ。多々あるクライマックス、多々あるmolto ritardandoを全てやっているわけにはいかぬ。どうやって大きな線を追うか?私の毎朝の仕事はヴァイオリンを練習する、のではなくとにかくスコアを読み練習箇所を見つけることになった。このような作業をしたのは久しぶりだ。マストリヒトの朝は寒くその中楽器を持って歩いて出かける。昔桐朋生時代に朝7時半に練習室が空いてるからピアノトリオ全部読もう!!と早朝練習した事、ブラームスのゼクステットを半年かけてやらせたもらった事、シューベルトの弦楽5重奏をこれも丹念に内声ばかり練習した事・・などを思い出す。今回はまだあまり人気(ひとけ)のないマストリヒトのコンセルバトリーで朝日の中スコアを紐解く愉しさを味わった。愉快だ! そうやって迎えた本番当日、ソロを弾くのとはまた違う緊張がある・・というより緊張感の質が違う。演奏は概ね良かったと思う。何より学生たちが各パートの仕組みをわかってきて、そうすると自由にみんなでイニシアチブを取りながらルバートしたり行ったり来たりすることができる。室内楽の醍醐味!私はとにかく最後まで持っていく役目をした。途中アクシデントもあったり自らソロ外したりした。全く!と歯痒い。なぜ練習では一度も外さなかった箇所を外すのだろう?この頃ある現象でもある。ま、学生には良い教訓になったかもと自らを収める(笑)「挑戦」が思いもかけぬ良い経験になったのは生徒のみならず私も!でした。 2023年11月マストリヒト
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よく目にする「渾身の演奏」顔をぐちゃぐちゃにしながら「一生懸命」弾く姿。「頑張ってます」の連続。 音楽って本当にそうかなあ?全く動かずに昔の人は全て音に表情を込めた。冷たい、と言われていたハイフェッツやコーガンの演奏も今聴くとなんと表情豊かなことかと改めて驚愕する。感動する。 なんか勝手にがんばられると白けることないのかなあ〜〜 むずかしいことはやさしくやさしいことはふかくふかいことはおもしろくおもしろいことをまじめにまじめなことをゆかいに と井上ひさしさんが言っておられた。 音楽はそれを巧みに取り入れながらどうやって聴衆を飽きずに引っ張っていくか?だ。それにはテクニックがいる。構成がいる。経験がいる。わからないようにあれよあれよと綴られていく音たち・・ 時間の使い方の「粋」 2022年3月15日ブリュッセルにて
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一生 人は変わらないなあ〜とこの頃よく思う。昨日私の最初の生徒マルセルが訪ねてきた。もうかれこれ20年以上知っているわけで、その間子供たちも仲良くなり遊んでもらい、彼は結婚してマレーシアオケに入り、男の子3人の父親になった。今回そのオケが潰れたのでヨーロッパに戻ってきて職探し中。コロナの影響はあらゆるところにある。40過ぎてまたまたオーデイションをやるのだ。大変だが歌手を含め我々のコンサート業は多かれ少なかれいつもその「再デビュー」の恐怖と向き合う。今もコロナ禍でなくなった演奏会後、果たして自分は弾けるだろうか?と自問するのは私一人ではない。ある程度の「習慣」がないとだめだ。話を元に戻すと、彼はそのオーデイション前に「緊張するために」私の前で弾きにきた、というわけだ。もう何年も会っていないのだが、全く変わらない。頭の後ろの白髪がなんだか「こいつも歳をとったのか」と感慨深く眺める。自分のことは棚に上げて・・・モーツアルトの4番。緊張のうちに弾いたが全て一応ハマっている。チャイコン、悪くない。その後少々のアドヴァイスはしたものの、真骨頂はその後の現在の弟子たちのレッスンだった。ミカエル、プロコの2番、フョードル、イザイの6番、ゾルタン、チャイコンと弾いていく中で「音程」「低い、高い、4度、5度、」と最初は静かに説明していたものの興が乗って私は急に興が冷めて「もう任せます」とお茶出しに回った(笑)思い出したよ〜あんたの「音程フリーク」よくぞ言ってくれた、大助かりの私です。それにしても人は変わらないなあ〜紆余曲折があり、いろいろな出会いや別れがあり、場所や仕事が変わってもその人が持っているものは変わらずそれを「性格」というより「一生」というのだとつくづく思う。幼児、いやお腹にいる時から「性格」があってその基本が作られ、どこにいようがずーっと続くもの・・・・妹が若くして逝った事も一生と考えると長短ではない。それだけ「死」というのは大変な事だ。さてシューベルトのグランドデユオの仕込みにかかる。この人もあちらからこちらをみている。アファナシエフとの絡み合いがどの様なものになるのか楽しみだ。なんというか「音」というものはまさにこの「一生」もので違う楽器を弾いても、歳を重ねてもわかるものだ。またそのはずである・・・しかしながら楽器は良いものを、技量とそぐわぬ楽器を持つ人は進歩は難しい事も事実だ。 お金と技・・・良い学校、良い先生・・・才能・・・人の「成り行き」も一生であるということか! 2022年2月8日
Category 2019-2023
時 マストリヒト行きの電車は都合で時間がかかることもあるが、天気の良い中人の少ない空間で外を眺めているのは気分が良いものだ。こんな僻地までわざわざレッスンしに出かけるのもこういった快があるからに他ならない。 快、といえば愉快というのはまさに内側からの表情以外の何者でもない。いくら「楽しいでしょう、楽しいはず」と他人、あるいは本人が思っても絶対に強要できない。それに対して外圧、外からのプレッシヤー、あるいはそのほんわかした気持ちを「守ろうとする」砦としての硬さがあるかもしれない。男と女で言えば前者が女性、後者が男性?だったらかっこいいけど!(笑) 美しさを感じる事、それは人の心が描き出す感情で動物にはない。動物・・・親愛なる感情を抱くペットにしても喜び、不快、不安、怒りといった感情は持っているだろうが「美」例えば日の光に輝く霜柱に感動はしない。ではその美しさを感じることはどこから来るのだろうか?知識?教養?マストリヒトの朝早くホテルを出て駅まで歩く。ホテル近くのごく普通の家の外壁に1771年と書かれている。くっついている隣は1691年?凄いなぁ〜流石に地震もない国ではこのように石の建物は保存され人々が住み続けているのだ・・・といったことに感動するのはそれなりの知識があるからだ。クレモナの天井のフレスコ画がまだ日常に生きているのも凄い・・ と車窓を通して羊が草をはんでいる・・・丸々としたお尻!もうすぐ復活祭になるがなぜ「子羊」生贄の慣習がまだ続いているのか?それにしても美味しそうだ・・と昔言って友達をビビらせたことがある。霜柱といえば子供時代は冬当たり前のようにあった。周りに土が多かった。その中でソックスにスカートで縄跳びをしていたのが私の小学生時代なのだが寒くなかったのだろうか・・・今では厚手の靴下にズボンに毛皮とまさにロシアのおばさん風体なのに例えば階段でつまづいた際についた足の傷は跡がのこる。 年だ! マース川沿いを行く電車はヴィゼ駅着。普段はこの風景を楽しむがふと川の水の量が多いことに気づいた。そういえば昨夏の洪水、増水で大被害にあった地域でもある。きれいな長閑な風景は一瞬にして汚い水の災害となる。 自分が中心、 またふと思った。この間パリ行きの前にも活元運動の後そう感じた。大したことではない。肝が座るというか心地よくなって空ゆく雲さえも楽しい。 突然こんな「一瞬」も、あるいはこの先この暖かい日の光の恩恵がギラギラの酷暑になる夏も、要するに「時」が全てを支配しているのだ、と閃いた。 よく説明できないけれど、空間、オブジェ、そして「時」と来るとこれが全てを超越してるのかもしれない。 「だから時の芸術である音楽、そして音楽家に全ての芸術家は憧れる」などとキザなことを言うつもりは全くなく、私たちの仕事はその時をいかに「止めて」そこに全てを挿入して、という作業は絵画、あるいは文章でそれを表す職業と何ら変わりはない。唯一の違いは演奏会で「弾き直し」はできないという事だ。生徒にもよく言う「2度目でできてどうするの?」 旅とは良いものだ。あんなこんな、色々なことが浮かんでは消え、そしてそれを追うこともなく時が過ぎていく。そして目的地に着く。また違う「時」が待っている。 2022年2月12日 ブリュッセル
旅、私の必然 冬眠状態のような生活の中、友人の酒井茜さんから「来週マルタとギドンとミッシャがパリで弾くよ」の言葉で目覚めた!「行きたい!!」 勿論チケットは完売。ブリュッセルでも滅多に演奏会情報に目を通さないのだからましてパリの事など知る由もなし?というヘンテコな理由で自己納得したところでどうにもなるものでもない。不安材料もある。このコロナ騒ぎで「旅」が果たして良いのか??日本行きならすぐに飛び乗るのにすぐ隣の国、フランスパリに躊躇してどうするの?オミクロンは怖くないけどできれば感染したくない。しかも次の日マストリヒト直行で室内楽試験を聞くことにもなっている・・・諸々の不安とそして一途の望み・・・チケットが手に入るのか?「運を天に任せる」 かくして前日「チケット大丈夫です」の茜ちゃんの言葉で「やった!!」とばかりにホテルを予約してタリス、電車の手配をする。コロナを心配して比較的空いてる時間帯・・などと言ってはみたものの現実はファーストクラスでも満杯でした。せっかく打ったワクチンの恩恵の「パスポート」も検査される事もなく1時間少々のブリュッセルーパリは近いものだ。ほぼ4年ぶりの「パリ」お天気も良く、北駅に着いたら思わず「もんた、パリだよ!!」と叫んでしまった(心の中です)妹、もも子もザルツブルグ留学の学生時代、時折パリに友人を訪ねて遊びにきていた。 なんだか遊園地のようだ。メトロの中でも「春」を感じるのは私の心がウキウキしているからかもしれない。ホテルに着き、荷物を預け昼食へ。思いもかけぬ晴天も相まってさてオルセー美術館、ラオル・デユフィの「Fee d’Elecricite」も見たいのだが、なんとなく我慢して部屋で待機する。別に私が演奏するわけでもないのに何故か疲れた心身で彼らの演奏を聴きたくない、そんな気持ちがした。 夜・・・満月を仰ぎながらフィルハーモニーのバルコニーに早々と着く。コロナチェックも終え会場に入る。人の流れを見ているだけでも愉しい。いただいた特等席に座り時を待つ。段々と増えてくる聴衆、絶え間のないおしゃべりが喧騒とも思えるが如くに響きを増す。マスクをつけていてもフランス人の会話はすごいエネルギーだ。まるで喋らなきゃ損、あるいは自分が存在しないかのようだ。そんな中に身を委ねる・・・午後の休養も必然だったかもしれないと思い始める。 満員の観客が席につくまで開演時間後10分はかかった。最初はミッシャとマルタのベートーベンのソナタ2番。懐かしい〜〜会場のせいかチェロの音が少し聞きづらかったがその辺は例によって見事なマルタのバランス感覚で無事乗り切る。ワインベルグのソナタ・・ギドン発見のこのポーランド人の音楽はいつも春めいている。和む。緊張のベートーベンの後にぴったりの選択だ。ギドンの音はよく通る。後半、ギドンが現在のウクライナの政情を懸念してのシルベストルのレクイエムを弾いた。シルベストルには以前会った事がある。どうしているのだろう?と顔が浮かぶ。ギドンのソロは空間にヴァイオリンの弱音が響き心にす〜っと入ってくる。締めはショスタコービッチのピアノトリオ2番だ。プログラムの流れも憎いほど完璧だ。私も数年前にブリュッセルでの復興コンサートの折、ミッシャとマルタと一緒に弾かせてもらった。ギドンとミッシャと知り合ってもう40年近くになる。ロッケンハウスで、あるいはミッシャがブリュッセルに引っ越してきた折に。子供たちも含めての家族付き合いもあった。マルタとは知ってはいたもののなかなかお近づきになるチャンスはなかったのだが、彼女もブリュッセル在住の時期があり翌夜中から時には明け方までお喋りしたものだ。ギトリスもいたなあ〜〜皆さんあんなにすごい人たちなのに人懐っこい。安心して自分をさらけ出せる。私はなんという果報者だろうか! 演奏会終了後コロナ禍で楽屋訪問は難しいかと思いつつ・・・運良くマネージャーのジャック・テレンを見つけたのでついていった。マルタに会い・・「どうだった?」と聞かれる。ギドンに会い「メールに返信しなくてごめん、朝食で会おう」ミッシャに会いまたまたジョークの連発!皆多大なる問題を抱えつつ、でも人は変わらないなあ〜〜マルタとは妹の死の話、ネルソンの死の話・・「それでも私たちは前を向いて愉しく生きていかなければいけないのよ」と彼女に言われた。 翌朝・・・興奮のあまり眠れない私とやはり数々の問題・・・例えば今ロシアにクレメラータ招聘の話が来月だよ?きたけどどうしたら良いかわからない・・・オミクロン、それに米ロ政情・・・という私の次元ではないけど「明日決めないと」と頭を悩ませるギドンとお喋りした。仙台国際コンクールの審査員に来てくれる。それだけでも大変な事だ!肩が痛いという・・・歳のせいか、それとも色々?天下の頭脳科は自身の分析も冷静だ。整体の話もしていて・・・それで「他には何をしてるの?」という問いにバッハのソロリサイタルをやった事。この辺から表情変わる・・今年ヴァレリーアファナシエフと共演の予定、の事。ギドン曰く「自分は自らの録音は全く聞かないけれどロックダウンの中昔録ったヴァレリーとのブラームスを聞いた。Am grateful that I did it・・・・コンクール、マスタークラス・・・色々話は尽きず・・・彼曰く「でも昔はもう少し人間的であったと思う・・・」最後に「プログラムはメニューと同じだよね。昨日のプロはほんと良かったよ」というと...