エトバシュとバルトークのオペラを聴いて   おととい、昨日と普段はほとんど行かないコンサートに行った。一日教えていてまた夜音楽を聴くのもしんどい・・・出不精? しかしエトバシュとバルトークとは!ソロソナタをやっている時は心中してもよいくらい好きなバルトーク、そして昔知り合いで素晴らしい音楽家のペーターエトバシュのオペラ?ソルドアウトの呼び声高い席がこれまた40年来の友人、コンクール以前からのブリュッセルの知り合い、西本啓子さんに「チケット一枚あるよ。来る?」と言われた! マストリヒト帰り、少し家で休んで・・・   フラジェーの客席に座る。 最初にナレーターが3か国語で解説を始める。3か国語と言っても全て訳すのではなくスイッチしながら話しを進めていくので実は3つの言語が理解できないと、途中抜けることになる。フランス語、英語、オランダ語、なんとかすべて把握。オペラの物語の筋が明らかになった。老眼も進み、暗い会場で解説書を読むよりもこうやって解説してくれると助かる。   エトバシュのオペラは [Senza Songue]、血はなしで・・アレッサンドロ・バリコの小説による。戦争時代拷問技術を開発していた医者を殺しに3人の兵隊がやってくる。夫婦を殺した後一人が戸棚を開けると4歳の女の子が隠れていた。しかし当時20歳の若き兵隊は銃口を当てたものの引き金はひかず。「誰もいない」と後にする。 60年以上の歳月が過ぎ・・・この娘「ニーナ」と若き兵隊が再会する。 オペラは劇場で切符売りをしていた老兵のところへ彼女が「チケットを買いたいの」と来るところから始まる。 幸運な事に字幕が舞台上方に出る。オランダ語とフランス語、歌詞はよく聞くとイタリア語だ!Voglio...
パガニーニのキャプリスを昨年4月からまた練習し始めた。ほぼ40年ぶりの事だ! 「まだフルコースやってんの?」とあきれ顔の旧知の友人の言葉に思わず大笑い。 フルコースとはコンクールを受ける場合のレパートリーを含むパガニーニのキャプリスに始まってバッハのソロソナタ、それに大きなコンチェルト、ヴィルチュオーゾのヴァイオリン小曲集などだ。だいたい学生生活やコンクール生活が終わるとパガニーニは却下され、バッハは遠のき、あとはその人のキャリア次第でオーケストラの曲の譜読みに入ったり、室内楽の数知れない名曲たちとの遭遇となっていく。私は逆にオケで第九も弾いた事もなければブルックナーもシュトラウスも知らない!ルツェルン祝祭オケを聞きながら「ここでなら弾いてみたいな~」と思ったけどやはり恥かくのはやめておこう・・・ さてパガニーニをさらいだしたきっかけは?マストリヒトの試験だった。生徒達の演奏を聴きながら先生仲間のボリスと米元響子さんといろいろ話をする。その中でパガニーニの4番の話になった。24曲あるキャプリスの中でも一番難しい。長い、3度に10度に超絶技巧が連続してある。ボリス・ベルキンはソビエト時代これを一年さらったという、毎日毎日・・・・「it needs time」とは彼の言葉だ。ボーイングも然り、焦ってもダメだ。 彼はその後チャイコフスキーコンクール優勝させてあげるというお国のお墨付き?をもらいながらも、その1週間前にプラスチックの袋ひとつで亡命した!それ以来23年ソビエトに帰らなかった。母親の死に目にも会えなかったという。亡命先はイスラエル。そののちアメリカにわたりアイザック・スターン、レナード・バーンシュタイン達の薫陶を受け世界的に売り出していった。彼の弾くちょっとメタリックな、しかしはがねのようなショスタコーヴィッチ、パガニーニ、そしてプロコフィエフの一番のコンチェルトは今でも覚えている。いまどき音を聞いただけで識別できるヴァイオリニストは少なくなった。 私達は80年代ロンドンのエージェント、ハリソンアンドパロット事務所のジャスパー・パロットのただ二人のヴァイオリニストだった。 当時はお互いソロキャリアで旅行も多く接点も少なく、時折ロンドンで金髪の素晴らしい奥様を連れ歩く後ろ姿をお見かけしたのみだった。その後彼はリエージュ、私はブリュッセルという同じベルギーに住みながら会う事もなかった。 それがこのところ7年ほど前から、行き来が始まり、ついには彼の教えているマストリヒト音楽院で私も教える事になった!生徒達も行き来があり試験はいつも一緒に行う。 米元さんは彼の弟子だったが今や立派なプロフェッサー。生徒の数も多い厳しい先生だ。頑固なほどのヴァイオリン一徹生活で彼女の醸し出す世界は素晴らしい。つい最近出したイザイのCDもかなり音響を押さえた中でのストイックともいえる奏法、あの超絶技巧曲6曲を良く演奏したものだと感心した。 ボリスのロシアスタイルと私の持っている音楽とどれだけ違う事か!と思いきや、モーツアルトでもブラームスでもテンポもフレーズ感覚もよく話しが合うのだ!さすがに名だたるオケ、指揮者とソリストをやってきた人は違う!オケのテンポ、どこを出したらよいかどこで引っ込められるか?どこが一番難しいか等。またあそこのフィンガリング?あそこのボーイング?ヴァイオリン馬鹿の話はつきない。 昨年は一緒にバッハのダブルコンチェルトを弾いた。その時コンマスをやってくれたのが米元さんだった。そんな仲間がいるから楽しい。励みになる。ボリスは71歳の今も新しいレパートリーに毎年挑戦してる。昨年はブルッフのスコットランド幻想曲だった。それを今度はサンクトペテルスブルグ大ホールで演奏するという。ヴァイオリン界で数少ない演奏年数が長いソリストだ。仙台国際コンクールの審査員でも来ていただいた。 マストリヒトで教えている彼の部屋をのぞくと本当に小さい子を手とり足取り教えている。 こうやって歴史は繋がっていくかな?と感動した。...
9月はブリュッセルとマストリヒトの学校に毎週通っている。6月最初から夏休みもはさんで行かなかったので最初はうきうきして出かけた。電車の旅でも春に咲いていたリンゴの花は今真赤な実を付けた!きれいだ。金曜に帰る時は乗客が多い。またまたたくさん歩いてレッスンして帰る。 ブリュッセルはまだ始まっていないけれど10月留守するのでレッスンしている。新しい生徒が多いので最初は肝心だ。 自分の練習ではパガニーニが面白くなってきたのでキャプリス、1,2,4,5,9,10,11,12と少し増えてきた。しかしながらなかなかうまくならないのは全くもって年のせいかパガニーニの悪夢か!彼の左手は関節が緩くできている一種の奇病で?そのせいであんな大変な跳躍もこなせたのだ! あとの「自由時間」は座禅したり活元運動したり・・・もちろん昼夜料理もした。薬膳の面白さとおいしさに新鮮味があり無農薬(と一応なっているが・・)野菜を買ってきては挑戦する。冷性、温性、平性・・・知らなかったけれど季節の食材を美味しく感じるのはやはりその必要があるからだろう。冬にトマトを食べる必要もなく、夏にみかんを食べなくてもいい。 歩く・・・ 友達と待ち合わせのレストランに行くのに1~2時間歩いていく・・・大汗かくのはマストリヒト行きも同じなのでリュックにはいつも着替えが入っている。グーグルマップなるものも使えるようになったが、やはり電話片手よりは空を見て木々をみて呼吸しながら鳥の声、市井の喧騒を味わうのが良い。解放感がある。レストランに着く頃には心地よい疲労感でワインも?と思いきやアルコールはそれほど要らないのだ。 時々犬も付き合う・・かわいそうにどこまでいくのか、どのくらい歩かされるのかわからないままついてくる・・・レストランに入ると水もらって飲んであとは寝てる・・・ お天気の良い日に夜7時ごろ、残照のテラスでラッキーと座って瞑想・・・・秋の夕空の凄い事!9階に住んでいて目の前鉄道、廻りに高い建物がない。となると視界半分が空になる。なんたる恩恵だろうか。今まで忘れていた事にふと気づく。 階段を上がり寝室に行くと中秋の名月・・・寝ているところに月の光が注いでいる・・・・カーテン閉めずに寝ました! とか・・・ 気楽にやっていたのが、突然今日になって身体がかわったのか? 「もういいや!」とパガニーニにも飽きて・・というよりそろそろ10月公演のプロに着手?と潜在意識が告げたのか?上記した何もかもどうでもよくなってきた。 おかしな話だ。 ちょうど世阿弥の 動十分心、動七分身、の言葉に行き当たった。...
昨日ブリュッセルの入試が終わった。色々な国によって事情が違い、ロンドンのように奨学金をとるため12月に決定するところ、パリのコンセルバトリーのように1月の試験、またはマストリヒトは4月、5月にはもうEU圏外は受付拒否・・・の制度のせいでブリュッセルはたくさん来る?7月頭と9月頭の入試で40人以上登録してきた。世の中卒業証書という紙が必要になってきている時代だ。ヴァイオリンを弾く事の他にすべての授業、教養を身に着け一般教科を把握せよ!ところで私の今年のクラスはたくさんの国の人がいる。はたと気が付いて数えてみたら、日本人2人、中国人2人、台湾人1人、ポルトガル人2人、イタリア人1人、ブラジル人1人、ロシア人1人、これがブリュッセルのクラス、マストリヒトにはマレーシア人1人、日本人1人、ハンガリー人1人、リトアニア人1人、オランダ人1人、コロンビア人1人がいる。なんと13か国にもなる!教え始めた最初のうちは日本人が多く、そのあと年によってフランス人が多かったり、ベルギー人が多かったりしたがここまで国籍が多様化したのは初めてのことだ。みなヴァイオリンを学びたくてやってきた。サンクトペテルブルグのヴァイオリン一族から・・・イタリアからロシア、モスクワを経て?パリのコンセルバトリー室内楽科から?中国から?マレーシアから日本人の先生についていて?年齢も17歳から27歳まで。ちょうど子供たちの年頃のあたりだ。その子供たちは手を離れちょうど私の生徒のように留学して新しい生活に挑戦している息子、昨年から働き始め、そのほかにも展覧会をやっている娘たちに姿が重なる事もある。英語で教える。この事も全くヴァイオリンというツールがなかったら成りたつものではない。私の英語力!留学した経験もなく最初の英語の地マルボロでは「Do you pray Blahms?」(ブラームス祈りますか?)本当は[Do you play Brahms ?](ブラームス弾きますか)とRとLを間違え、大笑いされたり。アルバン・ベルグの抒情組曲「lyric suite」がうまく言えずにいつも「は?」と言われ、またまた落ち込んで口が開けなくなったり、数えればきりがない。フランス語では蟻「Fourmi」のouがうまく言えず、また「meringue」(メランゲ)がうまく言えずお菓子やさんで「deux meringues svp」{メランゲ二つください}とママに言わせたい子供たちに笑われること然り!今年5月、仙台国際コンクール審査の折り、アメリカ人、イギリス人審査員との会話はテンポも語彙も多く、いつもヨーロッパで第2国語としてお互い使っている英語のハードルを数段階上げながら頑張ったものだ!元々日本だけで教育を受け、当然日本語ですべてを考えた私がいきなりエリザベート優勝して大海にほおりこまれた~はたまたベルギーという言語的には非常に寛容的な…悪く言えばあいまいでちっともうまくならない環境に住んでいるとそれで世界がまわってしまうという恐ろしさ。慣れはコワイ・・・生徒の出身国が多いからどうというものではない。しかし一人ひとりの背景が面白いではないか!夏休み・・・はあったかなかったかわからないけれど、また新しいエネルギーの登場にワクワクしている。                  2019年9月4日ブリュッセル
息子左門が昨日フィンランドに旅立った。エラスムスの短期留学だ。来年2月までロシア国境近くのラッペンランタ工科大学に行く。寒い冬に向かうので暖かいものと思う。この頃は留学の荷物を作って船便で送る・・ではなくスーツケース二つ持って。あとはネットで頼んでた・・・荷物もお姉ちゃんと友達に手伝ってもらって私は横で見てただけ!着いて・・・湖が近くて夕焼けがきれいな写真が来た。フィンランドの森と湖まだまだ シャイなオーロラ新しいクラスとピクニック(左門)森と湖に囲まれたこの大学にはブラジル、ドイツ、パキスタン、あらゆる国の人がいるようだ。なんとか頑張ってほしい。4年前マストリヒトに独りで行った彼は3か月して「合わない」と帰ってきた。独り暮らしもまた大学の性格も、友達付き合いもあまりなく、落胆したようだ。次の年はブリュッセルの情報大学に行き、それも「合わない」とまた経済にもどり3回目の正直?だといいけどルーバン大学の英語版の学校に入りバッチェラー1をとり2年目、今年はフィンランドに行くという事だ。何しろこちらの学校は入学金がいらない。授業料も年間10万程度。だからこんな贅沢な芸当ができる。学内の毎年の試験は厳しく落第は半分、追試ありの国がベルギー、なしがオランダ。2年続けて落ちた場合退学勧告、または3度目は自費となる。学校によって違うが年間100万ぐらいだろうか。音楽大学も然り、EU、ヨーロッパ共同体の国の生徒達の授業料は10万ぐらいだが一度圏外となると100万、総額払わされる。アジア、南北アメリカなどがこの例にあたる。ヨーロッパの大学ではボローニャ条約をいうものがありそれにのっとってバッチェラー、マスターの仕組みを各国で適応。バッチェラーとは大学生の事でマスターとは大学院と日本語では訳されている。卒業証書は一応どこの国でも通用する・・とは言ってもギリシャの音楽学校とパリやベルリンのレベルが一緒ではないので、例えばベルギーのコンセルバトリーの卒業証書でもフランスで働く場合はその「差」を埋める試験や勉強期間が義務付けられる。元々紙上の判断がものを言うわけもない音楽家だが、昔から音楽家は馬鹿だ、教養がない、という前提から始まった「すべての授業を受けて試験を通れ」が至上命令となってきた。ヴァイオリンがいくらうまくても音楽史、哲学、その他いろいろの教養がないとダメというのは分かるけれど全ての人に通用するわけでもない。皆が皆大学に行ったから世の中良くなって人々が幸せになる??「ヴァイオリンを弾くという行為は頭がよくなくてはできません」と昔江藤俊哉先生が言っていらした。あらゆることを同時に考え、暗譜して、演奏する・・・しかしその頭の良さは前述したシステムには認められていないようだ。またブレクジットの話題で大変な英国とEUの関係をみてもわかるようにヨーロッパの言語も文化も違う国を統合するというのはしょせん無理な話だ。元々対アメリカ、その当時日本を想定しての団結だったが今となってはその弊害も少なくない。かえって分断を生む?ヨーロッパの小さな国たちが大きな顔をしてみたところで無理がある。小さな魚たちが敵に立ち向かうために大きな魚のように一緒に泳ぐのとは違うのだから、これからは小国は小国のまとまりがあった方が幸せになる気がする。でも分断すれば隣との違いが気になる。気に障る・・・・とにかく戦争をしない事、これに尽きる。そのための共同体ならば是非続けなくちゃ。エラスムスという元は人の名前、今は大学同士のエクスチェンジ、交換留学が流行っている。ヴァイオリンの世界だと3か月や半年来られても教える側も時間が限られているしむしろそれをきっかけに翌年クラスに入ってくるケースが多い。娘も息子もこの制度を使って道子は4年前にベルギーの費用で例えばその10倍かかるロンドンの美術大学に留学した。勿論衣食住はこちらもちなのでその時期は大変だった。今年は息子がフィンランドに行った。とにかくヨーロッパでは「ヨーロッパ人」を作ろうという試みが多い。寂しい留学生活の折りに知り合ったガイコクの人と結婚するケース?それがこの政策の狙い?しかし実際は南米から、またはアジアからの学生も多いようだ。長々とまたあっちこっち飛んで制度の話をしたが、要するにヨーロッパと日本の教育の制度の違いといえば大学に入ったら勉強する、という事かもしれない。子供の頃から一流大学を目指し、そのために良い高校を、中学を、いや小学校、はたまた幼稚園からダイレクトメールが送られてくる日本とは違って、ヨーロッパは最初はのんびりしてる。でも小学生から落第はある。わからないまま進むのはかわいそうだからだ。息子など大学3回も変わってやっと少し勉強し始めたかな?今頃は夕陽のきれいな湖のほとりで新しい友達たちと語り合ってるのかな?3か月後には全て白くなるという、オーロラも見えるらしい!22歳といえば私がエリザベートに出た年だ。日本だけで教育を受け、フランス語はおろか英語もおぼつかなかった私に比べれば彼は語学にはほとんど支障がないだろう。一人でも友達ができればいいな、何しろ彼は友達と犬命だから!私の場合言葉はできなかったけど、手に技術を持たせてもらった。日本の、桐朋の音楽教室からピアノ、ヴァイオリン、学科、和声、リトミック、すべて素晴らしいレベルだった教育を受けさせてもらった。何を子供たちに身につけさせてあげられただろう・・・・本当に時のたつのは早く、あっという間にいなくなったものだ~空はつながってるから・・・とは施設に入った母の言葉だ。今度はこっちが空を眺めて子供の事を想う年になった。気が付けば夫婦二人に犬一匹、こんな時間が来ることは想像しなかったなあ~いつも出掛けるのは私なので昨日空港まで送りに来たラッキーも帰りがけ「あれ?まだいるの?」という顔して私を見ていた。ひとりの時間ができるのは嬉しい。ホテルではいつも一人だが日本の自宅で一人住んでいる時間も増えてきていた。これも流れだ。おとといはブリュッセルでバッハソロのリサイタルだった。この日も皆忙しく左門は最後の追試、パパはお母さんの眼医者に付き合う・・・私はごはん作って食べて荷物作ってヴァイオリンもって会場まで行く。会場にはたくさんの知人、友人が来てくれた。バッハとの対話、というよりやはり「もはやあなたが存在しなくなってた」という言葉が一番うれしかったな。作曲家と聴衆の中継ぎ、音になりきる。そのための時間をかける。たくさんはできないや~空の巣はそういう事なのかな、と思っている。                   2019年8月28日ブリュッセルにて
61歳になりそろそろ世にいう定年も近い。ヨーロッパの学校では65歳かな?たいてい2-3年延長しているがそうなると若い人の登用が難しくなる。教えることは経験がものを言うのでなかなか難しい選択だ。ソリストの生活はいつもデビュー。何回弾いても怖いベートーベン、メンコン、モーツアルト・・・それを弾くのは毎回新鮮な緊張、デビューだ。昔ルドルフ・ゼルキン先生は「デビューが怖い」と言っていた私に「演奏会はいつだってデビューだよ」とおっしゃった。彼はその時80歳、近づけば近づくほど驚かされる驚愕のソリスト生活だ!アルゲリッヒ78歳、チャイコフスキーのコンチェルトをこなす・・・あのオクターブもなんのその!人生の指針を目の当たりに出来る私は幸せ者だ。演奏会がない時もある。ある時はそれが数か月に及ぶ事もある、いわゆる「引退」。私が40年近く演奏活動をやってきて一番長く休んだのは二人目、左門が生まれてから半年間だった。いやはやあの時の大変さは他に類を見ない。勿論ソロ生活の質とは180度違う、いわば肉体的疲労困憊とそして何より自分のまわりの社会が変わる。同年の子供を持つ親たちだったり、何より子どもの世界にどっぷりつかった。毎日外だったのでそのころの写真はエリザベート審査員やってるときも土方焼けしてる!そのあとどうやってまた「デビュー」をしたのかは忘れてしまったが、いつもいつもデビューと引退を繰り返していると定年という言葉もあまりピンと来ない。やめてどうする?好きな事する?これも毎日の生活の中で取り込まれているのでさして熱望している事もないなあ~以前シルクロードを旅する、と思っていた。ヴァイオリニストをやっていなければシルクロードを発掘する考古学者と若い頃読んだ「タクラマカン砂漠」「さまよえる湖」などに心が躍ったものだ。数年前家族4人唯一ののヴァカンスでトルコ、それもアンタリアからコンヤ、カッパドキアとワクワクしながら旅をした。眼が東洋を向いたらその先にはシルクロードがある!しかしながらそれも夢でおわっている。昨年訪れたスイス・シオン、その山歩きに素晴らしさにそこに住みたくなった。標高1000メートル未満で葡萄畑が広がる。遠くに雪をかぶったアルプスの頂が見え隠れする。喉が渇けばちょっと葡萄を口にする。甘いの、少し辛口・・・もちろんワインもおいしい!フランス語ができるのもスイスというなんとなく上流階級で近づきがたかった感覚を薄れさせてくれた。母はよく高尾山まで一人で電車に乗り上まで登ってお参りしてきた。月の最初に行っていた。今彼女が家にいたときと同じように独り台所で食事を作り山のテレビなどを見ながら送る生活はまさに引退・・の部類なのだが、この先どうしたら?という計画もない。大体どこにいるのかもわからないな~その時々の感動を基本にして、「やりたい!」だけが唯一の保証で。怖さも喜びも生きて行こう。人はだんだんひとりになる。だからこそ家族、友人に感謝です!                      2019年7月4日東京にて
61歳になりそろそろ世にいう定年も近い。ヨーロッパの学校では65歳かな?たいてい2-3年延長しているがそうなると若い人の登用が難しくなる。教えることは経験がものを言うのでなかなか難しい選択だ。 ソリストの生活はいつもデビュー。 何回弾いても怖いベートーベン、メンコン、モーツアルト・・・それを弾くのは毎回新鮮な緊張、デビューだ。昔ルドルフ・ゼルキン先生は「デビューが怖い」と言っていた私に「演奏会はいつだってデビューだよ」とおっしゃった。彼はその時80歳、近づけば近づくほど驚かされる驚愕のソリスト生活だ! アルゲリッヒ78歳、チャイコフスキーのコンチェルトをこなす・・・あのオクターブもなんのその!人生の指針を目の当たりに出来る私は幸せ者だ。 演奏会がない時もある。ある時はそれが数か月に及ぶ事もある、いわゆる「引退」。 私が40年近く演奏活動をやってきて一番長く休んだのは二人目、左門が生まれてから半年間だった。いやはやあの時の大変さは他に類を見ない。勿論ソロ生活の質とは180度違う、いわば肉体的疲労困憊とそして何より自分のまわりの社会が変わる。同年の子供を持つ親たちだったり、何より子どもの世界にどっぷりつかった。毎日外だったのでそのころの写真はエリザベート審査員やってるときも土方焼けしてる! そのあとどうやってまた「デビュー」をしたのかは忘れてしまったが、いつもいつもデビューと引退を繰り返していると定年という言葉もあまりピンと来ない。 やめてどうする?好きな事する?これも毎日の生活の中で取り込まれているのでさして熱望している事もないなあ~ 以前シルクロードを旅する、と思っていた。ヴァイオリニストをやっていなければシルクロードを発掘する考古学者と若い頃読んだ「タクラマカン砂漠」「さまよえる湖」などに心が躍ったものだ。 数年前家族4人唯一のヴァカンスでトルコ、それもアンタリアからコンヤ、カッパドキアとワクワクしながら旅をした。眼が東洋を向いたらその先にはシルクロードがある! しかしながらそれも夢でおわっている。 昨年訪れたスイス・シオン、その山歩きに素晴らしさにそこに住みたくなった。標高1000メートル未満で葡萄畑が広がる。遠くに雪をかぶったアルプスの頂が見え隠れする。喉が渇けばちょっと葡萄を口にする。甘いの、少し辛口・・・もちろんワインもおいしい!フランス語ができるのもスイスというなんとなく上流階級で近づきがたかった感覚を薄れさせてくれた。 母はよく高尾山まで一人で電車に乗り上まで登ってお参りしてきた。月の最初に行っていた。 今彼女が家にいたときと同じように独り台所で食事を作り山のテレビなどを見ながら送る生活はまさに引退・・の部類なのだが、この先どうしたら?という計画もない。大体どこにいるのかもわからないな~ その時々の感動を基本にして、「やりたい!」だけが唯一の保証で。怖さも喜びも生きて行こう。...
娘道子が25歳になった。四半世紀だ!昨年から独立して彼氏と住んでいる。親の葛藤というか・・色々あったけど今はうまくやっている。ハッセルト日本庭園の個展もうまく行き、チョコレート屋、ブランデールでの職も定着し、グラフィストとしてまた油絵、アーテイスト、としてこれから多くの夢をかなえて行って欲しいと思う。久々に訪れた彼女たちのアパートで以前は家にあったあらゆるオブジェ、かきかけのデッサン等を見ると懐かしくなる。一生懸命私達をもてなしてくれる二人にエールを送りたい。今日はサプライズのピクニックをする、と彼氏から聞いたので、「ではその前に」と朝食をもって顔を見に行き、またピクニック用にと朝から5合ご飯を炊いておにぎりを作った。昔毎日散歩に出かけた時おにぎりと卵焼きとできれば鳥のから揚げ?をもって出かけたものだ。携帯もない腹時計、一人は乳母車、道子はあるかされてソルベー公園に着くとぎゃ~っと叫びまわった。二人目、左門が生まれて以来の葛藤を思いっきり自然に叫んでいた。25年、私もよく生きてきたなあ~~もういなくなっても大丈夫。白髪染めも3年前仙台国際音楽コンクールの審査委員長という大役を仰せつかった時、染めようか、どうしようか迷った挙句染めるのやめた!それ以来年を追うごとに白くなる頭を見て「やはり少し染めた方がいいよ」「商品ですからきれいじゃないと困ります」色々な意見を有難く拝聴、それでも家族の後押しもあって染めていない。確かに人の反応は変わるのだ。特に中年までの男の人・・・ヴァイオリンを担いでリュックを背負って立った京王線で「どうぞ」と青年に席を譲られたときは憤慨したものだがそれもいいではないか~当たり前の、またどうしようもない、「年を重ねる」事をなかなか人は認めない。どうすれば若さを保てるか?世の中はそれに尽きる。外見はね~中身の問題。「その時々その時々の初心を忘れず」世阿弥の言葉だ。その時々を持ち続けるために変わる事もあるかもしれない。学生時代一度は凝っていた東洋哲学、ヨガ等を「音楽をする際禅のように表情がなくなる」事もあって長い間やめていた。特に外国で暮らしていると無償に恋しくなる要素だが半面必要以上にそれが働いてしまい音楽が平たんになる事があるからだ。今となっては関係ない!ヴァイオリン演奏と活元運動、座禅、太極拳、すべて一緒にやっている。生徒、友人、家族問わず。ブラームスの和声とその上に乗る旋律の美しさに涙する。パガニーニの超絶技巧の在り方、なぜ?そして挑戦する事も面白くて仕方ない。それが私の「その時々、今、の初心」かな?そういうわけで今後染めるか染めないかはまた「その時々」で変わる事もあると思うけれどもとりあえず、わずらわしさからは遠ざかり、ますます自分のテンポ、リズム、そして人と会う、合う楽しみを大切にしたいと思っている。                    2019年4月21日ブリュッセルにて
飛行機はファーストクラス、衣装も買い放題、食べ物は美味しいものをタイミングよく食べよう、それより私の体の維持?マッサージ?いや愉気?でも自分でもやらないと。いつも人の時間に合わせる嫌だなあ~各地に豪邸を!その管理だけで大変だなあ~演奏会を開こう。思う処で思う存分。でもそのための練習も必要・・・自分でオルガナイズしても破綻するかも・・・教育しよう、思う処で思う存分!!所詮自分ではない。時間かかるなあ~何しろ相手時間だから!これが1か月なのか1年なのかはたまた5年か永久にわからぬか?神のみぞ知る。もし億万を分ける時、議論になるだろうなあ~嫌だなあ~死後の責任は取らない。さて・・・めんどうくさくなり、とりあえずヴァイオリンを弾く間、今のデルジェスとドミニック・ぺカットの弓で出来る事をしたい。ほんの少々のちがいでも追及していこう。そういうわけで億万長者になるのは私の世代でもなさそうなのでとりあえず、続けます、今の生活!                 2019年4月21日ブリュッセルにて
東京から中村越子先生がいらして活元会二日行った。場所は我が家。全くもって遠方からみなさん来てくださり私は身体を整えることができるという貴重なチャンスだ。彼女の話の中で「排泄という事ができるかどうかが老化現象のバロメーター」という言葉があった。これは昨年ロイ先生追悼演奏会後の西森先生宅の活元会で宮坂行子さんがいみじくも言っておられた。人間捨てることができるうちは元気だと。またここ数年温暖化の現象が身近でも見たり感じたりすることが多くなり例えば木々は冬には全ての葉を落とし、新しい芽の出るのを待つのだが昨年など古い葉を落とせずに冬を越し、なおかつ新しい葉っぱも出さなければいけないといったエネルギーの停滞、それに伴う負担を追う木々が増えてきているという。野口整体の考え方では、使えば使うほど腕はたくましく、太く、また繊細になり、守れば守るほど弱くなる・・という。出すものは出す。捨てるものは捨てる。からっぽになったコップにはまた水を灌ぐことができる。昨今、頭が痛い、腕が痛い、指の先が・・・等が増え、それに対する対処法ばかりがテクニックのように世にあふれている。このままで行けば苦情を言った方が勝ち!?みたいなことにもなりかねない。指に力が入らないのはなぜか?首が硬くなっていないか?頭の中がカチカチなのではないか?睡眠の質は?湿気は?身体全体で考える事、それはまさに音楽にも通じる。いくら全ての音をきちんと出しても、人は感動するものではない。脈々とある根底の音楽にどう迫るか?は小手先の話ではない事は常日頃言っているつもりだがついつい腕が痛い、ここが弾けない、と言われれば対処療法を教える事が多くなる。芯をぶれない・・・その時々の初心に帰る・・とは世阿弥の言葉だが、そういう意味でこの2日間の活元会は身体を緩めるだけではなく態度を改めて見直す良い機会になった。ありがとうございます。                      2019年4月7日ブリュッセルにて